子育てにストレスはつきもの、というのが世の常識です。
言葉が通じない子供を相手に、家事に育児に仕事に、親は手一杯で余裕がありませんので、どうしてもストレスをため込んでしまいがちです。
今回は、子育てストレスの原因を根本から解明し、ストレスフリーな子育てに変えていくきっかけになるお話をしたいと思います。
うつ病や育児ノイローゼになる前に|子育てストレスの正体とは?
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子育てとは、子供の日々のお世話をするだけではありませんね。しつけの部分や、世の中のしくみを1つずつ教えていく必要があります。
子供が一人立ちするまでの間、成長や発達に合わせて、親にできることも変わってくる中で、時にうつ病や育児ノイローゼになってしまうまで、追い詰められてしまうこともあるわけです。
だからこそ、ひどい状態になってしまう前に、なぜ子育てのストレスを感じるのかを知っておきましょう。
私の考えではありますが、もし今、子育てに苦しんでいるのであれば、こんな考え方があるよ、という参考にしてもらえるといいと思いますよ。
気づかないうちに理想の子供像を求めてしまう
子供を育てていると、いつの間にか自分の理想を子供に重ねてしまうことがあります。
意識しないと、気づかずに、知らずに、子供に自分の理想の子供像を求めてしまうのでしょう。
自分の子供を、自分の理想の子ども像に近づけようとあれこれ手をつくしますが、なかなか理想に近づかない現実の子供。
なんで?どうして?自分の理想の子供像になることが、現実の子供にとっても一番ベストなはずなのに。とイライラしてストレスを感じてしまうのではないか、というのが私の考えです。
これが、育てにくい子供の原因であり、子育てストレスの原因の1つだと私は考えます。
みんな不安だと思います。心配ですし、うまくいきますように、幸せになりますように、と願っていると思います。
「ちゃんと」という不安のの呪いにかかっている親たち
- ちゃんと育ってほしい
- ちゃんと育ってくれるかわからない
要するに、自分が(親が)子育てをすることで、将来子供が一人で生きていけるのか、幸せに暮らしていけるのか、という不安があるということですね。
未来のことは誰にもわかりませんから、おそらく、親であれば一度は誰もが感じることでしょう。
不安に思うことも幸せを願うことも悪いことではない
親が思っているうちは、なんの問題もないと思います。
ただ、この親の不安や願いをなんとかするために、子供に親の思い通りにやらせようとしてしまうと、子供側も「なんで?」となるわけですよね。
そもそも論で、親と子供は別の人間ですから、親の思い通りに子供が動く必要はないわけです。
理屈ではわかっていても、現実世界では結構な方々が子供に
- 「勉強しなさい」
- 「習いごとをしなさい」
- 「目上の人の言うことは聞きなさい」
- 「学校には行きなさい」
と言っている気がします。
親の理想を子供でかなえようとするから育てにくい子供になるのでは?
子供が納得する教えや説明などなしに、「そういうものなの」「みんなやっているから」という漠然としたことで親の理想を子供でかなえようとしていることに気づいていないのです。
だから、子供の感情とすれ違い、うまく言えない子供たちは泣いて態度で示すしかなく、その行動に対し、親は困った、育てにくい子供だとレッテルと貼る。
という流れです。
これまでの子育てに関する固定観念(子育てべき論は捨ててしまう)
子育てに対する社会の偏見は、今なお存在しています。
- 子育ては母親が中心でやるものだ
- 産むのは母親、母乳が出るのは母親だから、子育ては母親がやるものだ
さらに、
- 子供は母乳で育てた方がいい
- 子供は学校に行くものだ
- 子供は大人の言うことを聞くものだ
という種類の、『子育てべき論』がずっと受け継がれてきている気がします。
親に始まり、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさんおばさん、近所の人、学校の先生、お店の人などなど、たくさんの人たちが自分達の『子育てべき論』を持っている。
『子育てべき論』から外れたことをしていると、
- 「それは違う」
- 「大丈夫なのか」
- 「そんなでは立派な大人になれない」
- 「母親失格」
と、事情も知らない人達が勝手なレッテルを貼ってきます。まだ起きていない子どもの未来を憶測で伝えてきます。
子育てべき論をやらなくてもよい
ここで冷静になってよく考えてみましょう。
子育てが大変だと思っているあなたに対して、あなたと同じように接していない人は憶測でしか判断できないわけですよね。
あなたが抱えるストレスは、正直、誰にもわからないわけです。だってあなたじゃないから。
『子育てべき論』は、その人の『子育てべき論』であり、親としてのあなたに当てはまるとは限らない。
そして、あなたが持っている『子育てべき論』がお子さんに当てはまるとは限らないんですよね。
子育てべき論はただの理想
『べき論』は、ある種の理想を表しているもので、絶対に何が何でもやらなきゃいけないもの、実現していかなければいけないものではないと思います。
『理想の子ども像』と同じで、これまでの『子育てべき論』もただの理想ってわけです。
理想を持つことはいいことだとは思うけど、理想に縛られてしまうと動けなくなって辛くなっていくのではないでしょうか。
一度リセットして、親である自分と子供に必要なものは何なのか、改めて考えるためにも子育てべき論はすべて捨ててしまいましょう。
子供をコントロールできないことに子育てストレスを感じているのでは?
私達はなんと、理想の子ども像になるように、自分の子どもをコントロールしたいのかもしれません。
コントローラーを持って、子ども型のラジコンのように、自分の思い通りにコントロールしていきたいのかもしれません。

そりゃそうでしょ。っていう人もいるとは思いますが・・
・偶然、大人のいう事を聞いた状態になった長男→お利口さんな子ども
長男が、めっちゃ泣いてる時は→「ホントに困った子ね」と言われ、静かに遊んでいる時は→「今日は、お利口さんね」と言われる。
え??何それ??大人の都合で「お利口さん」って決まるの?と思いました。
私が子どもの頃から感じていた、大人の言葉に対するいろんな違和感はこれか、と大人になって若干理解できました。
そんな違和感を覚えつつ、実際に長男と接していると、あることに気づいたわけです。
・洋服着替えなさい
・保育園に行きますよ
・好き嫌いなくご飯を食べてね
・お風呂もちゃんと入ってね
・歯磨きをしてね
・片づけないと
・もう寝る時間ですよ
この通りに子どもが動かないと、親がイライラしてきて、しまいには子どもは怒られて、最終的には子どもが泣いてしまうというパターン。
そして子どもが諦めて泣きながら親に従うというパターン。

これ、子ども型ラジコンロボットだわ。って思った。
親の理想は生活習慣をつくる基盤にもなる
親としては保育園行ってくれないと仕事に行けないし、そのためには夜寝る時間も朝ごはんを食べる時間も着替えも何もかも、全部親がルールを決めて、時間を管理して子どもを動かしていきますよね。
でも、こうやって子どもは生活パターンや習慣を身に付けていくわけですから、全部間違っているわけではない。
年齢によって教えていく内容は変わってくるし、子どもも身につく事が増えてくると基本スペックが上がっていくわけだから声かけくらいで動けるようになっていきます。
子供を思い通りにコントロールしなければ子育てストレスにはならないのでは?
思い通りにコントロールできれば(思い通りに子どもが動いてくれれば)、子育てストレスを感じることはほとんどなく、コントロールできなければ(思い通りに子どもが動いてくれなければ)、子育てストレスを感じてしまう。
これってつまり、子ども側の問題ではないっていうことになりますよね?
親の都合、大人の都合になっている時点で、何かしらのコントロール要因があって、うまく制御できないから、コントローラーを握っている私たちがストレスを感じている。
ゲームでうまくコントロールできなくてイラついている子どもたちと変わらない状況になっているっていうことに気づいたとき、ゲームをしながら罵声を上げている子ども達のことを思い出して、ちょっとゾッとしました。
私、リアルでコントロールできない子どもに向かって、怒ってしまっていたのかも。って。
つまり、親の思い通りに子供をコントロールしようとしなければ、そもそも子育てのストレスも感じなくなるということですよね。
振り返り|子供を自分の思い通りの姿にしようとしなければストレスとは無縁の子育てができる

自分では子どもを自分の思い通りに動かそうとしているなんて考えてもいなかったので、この考えにたどり着いたときには結構驚きでした。
そういうことか・・・と思いまして。
今でこそ、感覚過敏やこだわりが強いこと、目的がはっきりと理解できないと行動を起こさないことなどなど、長男をうまく動かす術をわかってはいるけど、長男が1・2歳辺りの頃なんて全く知らないし、こだわりなのか、子どもだからなのか、男の子だからなのか、という事さえわかりませんでした。
- 子育てなんてそんなもの
- 男の子なんてそんなもの
- 今が一番幸せな時なのよ
- 子育てをもっと楽しんで
なんて言われても全く気づきませんでした。
極論ですが(現実的ではないので)、理想の子ども像を全て失くし、未来の不安も全て失くし、子どもを一切コントロールしなくてもいいのであれば、子育てストレスは発生しないと思うんですよね。

極論すぎるけどね。
ならばコントローラーを置いてしまえばいいのではないか、という仮説がストレス解消法のように思えるのですが、あまり現実的ではない気がします。
社会的ルールやマナーは教えた方がいいし、生きていくために必要な知識は教えた方がいい。
自分に教えられることは教えていきたいですし、一緒に楽しめることは楽しみたい。
思い通りに子供を動かそうとするのではなく、子供が自分で考えて、判断して、決断して、動けるように、その方法を教えていけばよいのかもしれません。
教える、というより、一緒に考える、あなたならどうする?と決めてやってみてもらえばいいのでしょう。
たくさん転ぶ選択をするでしょうし、ちょっと違う方向なのでは?と思う選択もあるでしょう。
ならば、親が一緒にいるうちに、転んでもらえばよいのかもしれません。たくさん失敗して、どうやったら次はできるのかの策を一緒に考えていくことが、子育てなのかもしれませんね。
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