学校に行かなきゃダメ?不登校というレッテルを貼りたい人たち

不登校
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次男小学3年の5月中旬から不登校デビューしました。

不登校と言っても完全不登校ではなく、1日2時間だけ授業に参加する、半不登校スタイルにしてみました。

今回は不登校という道を選んだ次男について、「不登校」について私の考えをお話ししていきたいと思います。不登校に悩んでいる親御さんの参考になれたらうれしいです。

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学校に行かない不登校=悪いこと?何も疑問を持たずに学校に通う子供たち

さて、3・4歳になったら幼稚園に行って、6歳になったらランドセルを買って学校に行きますよね。親も子どもも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなが楽しみにしている学校。

子どもだって最初はワクワクしているんですよね。楽しみだし、どんなところだろ?友達100人できるかなって思っていますよね。

学校って「みんなと同じ」をやるところ?

でも、実際に入学してみると、長男のように「みんなと同じ」が良しとされることに、合わせられないタイプの子どもがいるんですね。

自閉傾向があったり、ADHDだったり、気づいていないけど学習障害だったり、次男のようにHSCだったり、いろんな気質や特性を持つ子がいて、「みんなと同じ」に疑問を持ったり、合わせていくことが難しい子もいるわけです。

自分は人と違うと気づく場所でもある学校

幼稚園までは、先生と自分、自分と友達、自分と親みたいな感じで1対1の関係が主な感じだったのに対して、学校に入る頃になると徐々に、自分の周りに何人もいるな、と気づき始めるんですよね。

そして、

  • あれ?みんなはできるのに、自分はできないな
  • どうしてみんなにはわかるんだろう?
  • なんでぼくはできないんだろう?

という素朴な疑問が浮かんでくるわけです。

45分という決められた時間、席に座ること自体、発狂したくなるくらい難しい子どもにとっては、45分間椅子に座っているのは大変なのでしょう。

他に気を紛らわすものが必要で椅子をがたがた揺らしてしまっては怒られて、ならばと貧乏ゆすりをしてみれば隣の女の子に注意される始末。

怒られてばかりになるので、自分がダメなのかなと思ってしまうきっかけになる子もいますね。そうやって、自分以外の人間がいることを、お互いに知っていく場が学校なのでしょう。

感覚過敏の子供にとって学校の環境はつらい環境

誰かが先生に怒られると、HSCや感覚過敏の子どもは自分も辛くなってしまいます。教室の音や人の声や何かわからないにおいや蛍光灯の光などなどが気になり過ぎて疲れてしまいます。

気にならない子供や先生にとっては何でもないことですが、気になる子供にとってはストレスが降り積もるようなもの。

それでも死んだりしないのですが、慣れない生活に疲れてしまうのは確実でしょうね。

何に疲れてしまうのか、何が辛いのかなんてはっきりした理由を説明できるほど、自分の頭の中や感情を理路整然と説明するのは難しい子供時代。

先生や親に「大したことじゃない」「そんなことでは生きていけない」と理解してもらえなければ、学校は子供にとって落ち着けない場所になっていくでしょう。

どうして義務教育だと学校に行かないといけないの?

学校に行かなくなると大人は聞いてきます。

「なんで?」「どうして?」「学校に行かないの?」「学校に来ないの?」って。

  • 理由もなく学校を休んではいけない。
  • 学校には行かなければいけない。
  • 義務教育なのに。

と言われます。

ではなぜ、義務教育だと学校に行かなければいけないのか?このことを子供に説明できる大人は少ないのではないでしょうか。

みんな行っているから、そう決まっているから、社会で働けないから、いろんな説明をするかもしれませんが、本当の理由って、私達、どこで教えられてきたのでしょう。

わからないなら、大人も一緒に考えればいいのに。

どうして学校に行くのか、なんで学校なのか、なぜ勉強なのか。ちなみに私が考えてみた答えはこちらの記事で紹介しています。こんな考えの人もいるんだな、という参考にしてみてください。

【人生の目的から考える】不登校の子供の学校と勉強の必要性
不登校の子供にとっての学校や勉強を考えた時、忘れていはいけないことがあると思います。それは目的。一日の半分を学校で生きる子供にとって、学校や勉強の目的がわからないまま過ごすことが苦痛になることもあるでしょう。人生の目的でもある「死なないこと」から逆算して考えた場合の学校と勉強について考えたことをおはなししていきます。

みなさんは、義務教育だとどうして学校に行かなければいけないのか、考えたことありますか?

不登校の親におすすめの本|学校へ行く意味・休む意味 不登校ってなんだろう?

学校が始まった歴史から始まり、現代の学校教育について、そして子供の気質や家庭環境、学校の先生達など、不登校について多方面からの見解が載っています。

学校の制度について、教育について、勉強する意味など、本質的なところに触れているので、とても読みやすくわかりやすいです。

不登校について根本から考えたい方はぜひ読んでみてください。ヒントになることがたくさんありますよ。

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勉強なら家でもできる時代|勉強と不登校

勉強の分岐点

学校は勉強しにいくところ。大半の大人がそう答えるでしょう。

教科書をもらって勉強していくわけですし、同じ年の子ども達や先生と一緒に、いろんな考え方があることを知り、協力することを体験していくわけです。

子どもにとっては、初めての本格的な社会体験であり、勉強をするというちょっとお兄さんになったような感覚を体験していく場でもありますね。

勉強だけなら学校以外のツールがたくさんある現代

当然ですが、勉強は学校じゃなくてもできます。これはどんな親でもわかっていることですよね。

  • 親が教えればいい
  • 本が読める子であれば本から勉強できる
  • 動画でいくらでも勉強ができる
  • 家庭教師を利用する
  • 塾に行く
  • フリースクールもある
  • オンラインで勉強できる

やろうと思えばいくらでも独学できます。

みんな知ってるのに、学校に行かないっていう選択をすると、「じゃ、勉強はどうするの?」と言われます。答えは「家でやる」しかないんですけどね。

ココナラでもたくさん勉強できるオンライン学習がありますよ。

勉強だけが大事なの?勉強の心配をする前に子供のヘルプサインに気づくこと

・学校に行こうとするとお腹が痛くなる
・学校の門までは行くのに下駄箱で止まってしまう
・朝になると頭が痛くて起き上がれない。

こういう子どもの症状って、何かしらのヘルプサインを出しています。

それなのに、勉強の方が大事なの??って思うんです。

子供が何を伝えたいのか、何を伝えようとしているのかをまずはわかってあげようとすることが先かなと思います。

子供のどういう気持ちがお腹を痛くさせているのか、何に困っていて頭が痛くなってしまうのか。まず子供の現状を認めてあげないと、と思います。

お腹が痛い、頭が痛い、と言っているのに、学校に行かない理由やいじめられているのでは?と疑うのは本末転倒ということです。

【世の中の偏見】学校に行かなきゃ、立派な大人になれない??

学校に行ってちゃんと勉強しないと立派な大人になれない。

世の中の偏見ですが、不登校になるとこの類の言葉を実際に投げかけられます。

大人って、本当に子供に対して、自分の価値観を押し付けたいんだな、と感じるます。

「立派な大人」だと思うのは個人の感じ方により差があることなのに、子供の今に寄り添うことなく、大人の理想的な価値観で話しをする方が先なのでしょうね。

学校に行く=立派な大人になれるなら、今の社会、立派な大人があふれているはず。自分の価値観でしか人をみないことが、「立派な大人」の代名詞なのでしょうかね。

学校に行けなくなった子供たちに大人ができることは、学校に行かせることだけではないと思います。

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【体験談】不登校というレッテルを貼りたい大人の固定観念が子供を苦しめてしまう

浮かない表情の女の子

次男が不登校になる前から、長男も次男もたまに学校に行きたくないと言い、休むことがありました。

行きたくないから学校を休むと先生に怒られるという親の妄想

私は子供が「学校に行きたくない」と言ったら、「そうですか。」と言って、休むのか遅刻早退にするのかを子供に決めてもらい、学校へ連絡します。

学校の先生には、ウソをついたりせず、「学校に行きたくないと言っているから。」とそのままを話し休みます。

こういう話をすると、大抵のママ友たちから「先生に怒られたりしないの?」と聞かれるんですよね。もちろん、怒られたことは一度もありませんよ。

なんで私が先生に怒られるんだ???っていうか、怒られるわけないですよね。

先生もお仕事ですから、根ほり葉ほり聞いてきますが、「わかりません」とだけ答えて何も答えません。だって知りませんし、わかりませんから。

学校に行きたくないから行かない=未来はダメ人間に直結させすぎていないだろうか?

今、行きたくないと感じたことに対して、大人はすぐに

  • 1度行かないことを許すと不登校になるんじゃないか
  • 行きたくないからって行かなかったら、仕事をやっていけないではないか
  • すぐに逃げるなんて忍耐が足りない

などど言い、無理にでも学校に行かせる方向へ持っていきたがります。

学校に行ったから、将来仕事をやっていけるということではないのに、とにかく学校に行けば安心、みたいになっていますよね。

学校に行かない理由を子供が話さない本当の理由

結局、大人の妄想上では、学校に行かないと立派な大人になれない、仕事に就けない、みたいになっているので、大人の固定観念を押し付けられるだけになってしまうのですよね。

だから、子どもは本音を話せないし、ひどいと代わりに大人が解決しようとしてしまう。

「お父さんが変わりにぶん殴ってやる!」「お母さんが文句言ってあげるから!」みたいなやつ。きっと子供は望んでないやつですね。そうじゃないから。

だったら最初から話さない、という思考回路になっても、子供を責めることはできないと思うんです。

だって大人が話をちゃんと聞かないから。理解しようとしないから。子どもを自分の思うようにコントロールしようとするから。最終的には学校に行かせようとするから。

子供はそんな大人の本心を見抜いているんですよね。

不登校は悪いことなの?物事の本質に気づいている子供たち
次男の不登校をきっかけに、不登校についていろいろと考えてきましたが「不登校=悪いこと」というイメージが抜けませんでした。なぜ不登校だとマイナスイメージが強くなってしまうのかについて私が考えていることをおはなしていきます。不登校で悩んでいる方の参考になればうれしいです。

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学校でしか学べないものは人とのコミュニケーションではないかという仮説【花緒論】

勉強が家でできるなら、学校なんて必要ないのでは?と思うかもしれませんが、私はそれなりに必要だと思っています。

なにより、人は1人で生きているわけではなく、人との関係性をうまく保ちながら、物々交換から始まって食べ物を得ているのですからね。

今の時代が物々交換じゃなくても、まわりまわって最後はやっぱりコミュニケーションかなと。

コミュニケーションの手段がSNSになろうと、オンラインになろうと、直接交流になろうと、手紙になろうと、結局は相手に必要なものを与え、生きるために必要なものを手に入れているわけですからね。

ここがわかっていないと商売にもつながらないかなと考えているので、そういう意味でいうと学校は子供時代をリアルに体験する場として使えるかなと思います。

発達障害の子供が苦手なコミュニケーションのメリットと必要性とは?
空気が読めない、相手の気持ちがわからないことで、コミュニケーションがうまく取れない発達障害の子供たち。意味がわからないまま否定される機会が多くなることで、療育や家庭での声掛けがうまくいかない場合があります。今回は、コミュニケーションがなぜ必要なのか?療育や訓練の目的としてコミュニケーションのメリットを知ってもらいます。

人とのコミュニケーションを学ぶための学校

先生や友達、その地域や同じ学校で巡り合った人たちと、

  • 何を目的に→どんな行動をするのか
  • 何を話し→どんな反応をするのか
  • 何を共有し→どんな感情を体験するのか

こんな感じで人とのコミュニケーションを学ぶ(体験する→経験する)ために学校が使えるかな、と思っています。

専門的な環境や先生との交流のための学校

さらには、学校ならでは専門的な環境や専科の先生との交流は学校ならではですね。

  • 専門の環境(体育館、音楽室、理科室とか)
  • 専門の先生(図工の先生、音楽の先生など)

家や地域レベルで用意するのは大変な専門的な物事、特に専門分野が多くなる高校・専門学校・大学などは家よりも学校の方がより専門的な体験ができるでしょう。

マンパワーでしかできないコミュニケーションの体験のための学校

マンパワーで実現できることはてっとり早く学校がいいでしょうね。

  • 集団ならではの活動(運動会、学芸会とか)

さらに言えば、

  • 同学年との交流
  • 上下学年との異学年交流
  • クラブや係り活動、委員会などの役割

このあたりも、家で家族のみでは難しいコミュニケーションの体験ができるでしょう。

不登校について考える/学校だからできること
次男の不登校をきっかけ、「不登校だからできること」を考え、先日記事にしたのですが、対の考えとして「学校だからできること」も考えてみたので合わせて発信したいと思います。不登校だから学校を否定しているわけではなく、いいとこ取りをしていく予定です。

学校に行っても行かなくても満足した一日を目指すことが大事なのでは?

大事なことは学校に行くか行かないかではないと思います。

学校に行こうが行くまいが、今日という日を本人が満足した一日として過ごせるかということだと思います。場所なんてどこでもいいし、勉強じゃなくたっていいと思います。

今日という日に納得がいく過ごし方ができれば、体調もメンタルも安定してくるでしょう。安心して眠れるようになるでしょう。

そうやって、体調とメンタルが安定すれば、自分以外の誰かとコミュニケーションを取るようになってきます。

そこではじめて、学校に行く行かないの選択とか、何に困っていたのかとか、その他諸々の話と対処ができるようになると思います。

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振り返り|干渉し過ぎと大人の固定観念は子ども世界にはいらない

線路を歩く子ども

次男は、小学3年のほぼ一年間、平日2時間、参加したい授業がある時間+前後1時間だけ、授業を受けるというスタイルで過ごしました。

私自身、ホームスクールでもいいと思っているので、学校には何のこだわりもありません。

次男が学校の玄関から中に入れなくなったこと。それが何よりのヘルプサインだと考えたので、2時間だけ参加するという次男の不登校スタイルに対して先生に交渉しただけです。

2時間行ってるなら不登校じゃないんじゃない?という人もいますし、2時間しか行けない次男、という見方をする人もいます。

私に対して「大変だね、学校行かなくて次男君、大丈夫?」という人もいますが、不登校か不登校じゃないかなんて、正直どうでもいい。

相談先でも不登校という枠に入った次男に対して、対策を取ろうとしているように感じましたし、理由を探ろうとする人もいます。

みんな、不登校であるというレッテルを一生懸命私と次男に貼ろうとしているように感じました。

私も次男も、誰にも一切の嘘もつかず、「学校に行くと空気が読め過ぎて疲れてしまう」と話し、2時間登校スタイルを続けています。朝、次男がいけないと思った日は休みました。それでも全く問題はありませんでした。

完全な不登校とは違う、ちょっと変わった次男の不登校スタイルになってから、次男は明るくなりました。

何をやっても自分はできないと落ち込むことが多かったのですが(実際は何でもできるのですが本人ができると思っていない)、実は自分にはいろんなことができるのかもしれないという気づきに変わってきています。

何も聞かずにそのままを受け入れること。理想の子ども像が頭から離れなければ、未来の子ども像を捨てきれずにいるのであれば、何も聞かないことも、そのままを受け入れることも難しいかもしれません。

育てにくいって何だろう?その4不安が生み出す育てにくい子どもと理想の子ども像
育てにくいと感じてしまう原因は何なのか?もし子どもが育てやすい子どもだとしたら、私たちは幸せな子育てだと感じることができるのだろうか?そこには不安が大きく関わっているのではないかと考えました。今回は「育てにくい」と感じてしまう根源は、私たち親が持つ「理想の子ども像」が関係しているのではないか?というお話しです。
不登校は1つのサインだと思います。
 
今、ここで、これまでと同じ対応をしていても結果は今と同じ。ならば今から変わらないと。
 
これまでとは違う対応をしないと、明日からの未来は変わらないと思いますよ。

私はだいぶ変わった考えだと思いますが、私のような考え方もあるんだと、方法は1つじゃなくて、子どもに合った方法を探せばいいんだと思えるきっかけになればうれしいと思います。

間違っても大人の固定観念を押し付けること、親の理想を子どもに叶えさせようとすることだけはやめましょう。子どもはお人形でもないし子ども型ロボットでもないですからね。

 

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