こんにちは!長男に比べたら次男は育てやすい子どもだと思っていましたが、別のところで長男以上に育てにくいのが次男だと思っている花緒です。今日は、自分の子どもが超育てやすい子どもだとしたら?ということについてお話していきたいと思います。
今日の質問:育てにくい子どもに、親は期待をしてはいけないのでしょうか?
育てにくい子どもを育てているママから聞かれる質問の中でもトップ5に入るくらい多い質問です。
親であれば、子どもに期待をしますよね。どんな期待をしていたのかを聞いてみると、
- 勉強も運動もそこそこできる
- 学校にもちゃんと行って友達ともなんとかうまくやっている
- 先生にちょっと怒られるやんちゃなところはあっても、素直で元気な子がいい
みたいな答えが返ってきます。
うんうん。私もそう思ってるし、たぶんみんな同じよう思っていると思う。
ただこれ、よくよく考えてみたら理想の子ども像になってしまっているんですよね。私の子どものことじゃないし、みなさんのお子さんのことじゃないですよね。
近い部分はあるにしろ、何かしら理想の子ども像とは違う現実の子どもの姿があるから、理想の子ども像になってくれるように「期待をする」と言いたいのですよね。
私はいつも答えるのに迷ってしまうんです。「期待するっていう言葉じゃないと思う」と言いたいのですが、それじゃあ何なんのかよくわからないですよね。
結局、理想の子ども像と目の前の子どもは別物なので、理想の子ども像に近づけようとしない考え方にしてみるといいのでは?と答えたいのですが、ちょっとはっきり言い過ぎかなとためらってしまって、はっきりとは言わないんです。
だって、気づいていないから「期待してはいけないのかな?」っと思っているわけだし、それって今、目の前にいる子どもを少なからず否定することになってしまうと思うから。それに、親のことも否定していると勘違いされる確率が高いから。
ちょっとうやむやな言い回しですが、ゆっくり話す時間がない場合は、こんな感じで答えています。子育ては思い通りになんていきませんから、不満や不安が付きもの。それは当然のように知られていることですが。
じゃあ、もしですよ。
もし、自分の子どもが自分の理想の子ども像と同じような子だったとしたら、つまり「育てやすい子ども」だったとしたら、私たちは満足した子育てができるのでしょうか?
育てやすい子どもの定義・ 子どもの将来の姿(親の理想)の定義 を再確認
自分の子どもが「育てにくい子ども」ではなく、次の例に挙げるような、いわゆる「育てやすい子ども」だとしたら、私たちの子育てはストレスもなく、満足のいく、納得のいく子育てになって、楽しい人生になるのでしょうか?
まずは私流ではありますが、「育てやすい子ども」の定義、そして親がこんな子に育ってくれたらいいなと思う「子どもの将来の姿~親の理想~」の定義を確認してみましょう。
◆育てやすい子どもの定義
- 意志の疎通がうまくいく
- よく寝る
- 何でもよく食べる
- 親の思う通りに動く(想定外の行動があまりない)
- 大人がわがままだと思うようなことを言わない
- 1人で遊ぶ
- 素直
- 適度におとなしく適度に活発
- 友達とのトラブルがない
◆未来の姿の定義/子どもの将来の姿の定義~親の理想~
- 大きなケガ・病気がなく健康に大人になる
- 挨拶やマナーをちゃんと守れる
- 生活習慣に問題がない
- 保育園・幼稚園・学校に行く
- 読み書き計算に支障がない
- 一通りの運動ができる
- 一芸がある(習い事など)
- ある程度のレベルの学校へ進学する
- 協調性がある(人と仲良くできる)
- 大人の言うことを聞ける
- 目標に向かってコツコツ努力できる
- 本をたくさん読む
- 人を気遣えるだけのやさしさがある
- お手伝いをする
- 言われなくても自分から行動する
- 夢を持つ
- 大学を卒業したら職に就く
- 結婚して家庭をもつ(孫が生まれる)
- 夫婦円満
親の不安が育てにくい子どもを作ってしまう正体かもしれないという仮説
いいですね。最高ですね。こんな理想的な子どもだったら、さぞかし私たちの子育てはラクで楽しい時間になりそうですよね。妄想するだけでもストレスが解消されそうですよね。
しかしながら。
私たちの現実は違いますよね。本当に正体不明の何かに憑りつかれているのではないかと思う程、現実は育てにくいと感じているわけです。
いいか悪いかは別として現実に存在する「育てやすい子ども」
実際に育てやすいと言われている子どもは本当にいると思います。そのような話をママ友から聞いたことがありますし、そのような親子を見たことがあります。おそらくみなさんの周りにも、ともに満足していそうな関係の親子、いませんか?
育てやすい子どもの中には、親子ともに本当に本心から何の疑いもなく満足した関係もあるでしょう。しかし、なんとなく育てやすい子どもの定義を見ていると、逆に大丈夫??と思ってしまうのは私だけでしょうか?
もし実際に、理想の子ども像のように、我が子が動いていたらちょっとコワイと思ってしまうかもしれません。
いや、いないわけではないと思う。ごく稀にいるのかもしれません。でも一概には言えませんが、育てやすい子どもの中には、うまく大人の表情や空気感を読み取って動いている子もいるかもしれませんよね。
自分の意見が言えない、欲しいものや食べたいものが主張できない。「これでいいよね。」と親に聞かれると、本当はそう思っていなくても「うん。」と答えてしまう子。
親からしてみれば育てやすい子どもなのかもしれませんが、ちょっと疑問に思ってしまいますね。自己主張ができない関係は、いくら育てやすい子どもでも私は望まないかな。
実際にHSCの気質を持つ子どもは、空気感や顔色を敏感に察知するので、有り得る話なのかもしれません。
子どもがちゃんと親の理想通りに育つかという消えない不安
我が子を産み落とした瞬間から、不安は私たちとずっと一緒に居ると思いませんか?
- 死なずに育ってくれること
- 健康に育ってくれること
- 栄養バランスよくご飯を食べてくれること
先程お話しした「子どもの将来の姿の定義」は親の理想でもあります。自分とは違う人間なので、自分でコントロールできませんし、自分ではどうすることもできないこともあるでしょう。
何を見て、何を考えて、どう動くのか、自分とは違う人間である子どもは、我が子でありながら自分とは別の個体になっていくわけです。
自分から離れてしまうと「子どもの将来の姿」から離れてしまいそうで不安になり、思った通りに子どもが成長していないと感じると、「子どもの将来の姿」が別の姿になっていきそうで不安になってしまう。
そんな不安は、きっと私たちが死ぬまでなくならないと思います。その不安を「期待」という言葉に置き換えて、子どもを信じているつもりで親業をやっている気がしています。そうでもしないと不安につぶされてしまいそうでやっていけないですよね。
と思いながら信じることができず、「子どもの将来の姿」が脳裏に居座るわけです。そして「子どもの将来の姿」を実現するためには、今、こうしなきゃ、あれをやらなきゃ、こっちもできなきゃ、と課題をどんどん増やしてしまい、うまくいかないとストレスに感じる悪循環。
そして「育てにくい子ども」が誕生します。
育てにくい子どもの子育てで「子どもを信じて」は祈りの言葉だと思う
一瞬話がそれますが、よく子育てに悩む子育て系のアドバイスで、「子どもを信じて」という言葉がありますが、もし本当に子どもを信じることができるなら、子育てでは悩んでいないと思うんですよね。
とすると、子どもを信じることは難しいから、育てにくいと感じていて、今この記事を読んでいるわけです。そんな私たちにとって、「子どもを信じて」という子育て系のアドバイスは何の役にも立ちません。
信じて育てやすくはなるなら、誰も苦労しない。
ほぼお祈りの言葉に等しいと思う。毎日神様に「子どもを信じたいです」とお祈りするようなもの。もういっそ、信じられないと断言してもいいと思いますよ。口には出さないけど、心の中では「全然信じられないです」と断言しちゃっていいと思う。
逆に「信じなきゃ。」とストレスを感じたり、「信じられない自分はダメな親だ。」と自己肯定感を下げてしまう方が、よっぽど悪影響だと思いませんか?
自分の感情に嘘はつかない方がいいと思うし、嘘をついてもHSCのような敏感な子どもにはバレバレです。信じる信じないなんて正直どっちでもいい。育てにくい子どもと向き合うには、きれいごとにしか聞こえない言葉ですよね。
子どもがちゃんと育つのかという不安が育てにくさを産んでいるのかもしれない
結局、ちゃんと育ってほしいという願いと、ちゃんと育ってくれるかわからないという不安があるから、思ったように育っていないように感じたとき、思ったように子どもが動かないときに「育てにくい」と感じてしまうきっかけを産んでしまっている気がします。
さらに「ちゃんと」という言葉が追い打ちをかけてくるんですよね。もう「ちゃんと」っていう言葉は省いてしまって、とりあえず育てば良しとすれば、子育てが少しはラクになるんじゃないかな、と思うんです。
そんなこと言われても、って思うかもしれませんが、先の未来に対して不安を感じても、どうすることもできないんですよね。だって不安はまだ、実際に起こったことじゃないから。
でも、対策はできます。なぜなら、
ならば今やることは、不安に押しつぶされそうになりながら、子どもを理想に近づけるためにイライラしたり怒ったりすることじゃなくて、今できること、今日できることを1つでいいからやってみよう!!ということになりますよね。
育てにくい子どもを産んでしまう不安をうまく使いこなすために
先の未来に対して不安を感じてもどうにもならないことは確かなのですが、不安は生きていく上でなくてはならない大切な感情です。
本来は、不安は命の危険を感じるようなときに発動される感情なのではないかと思っています。家の外に出れば、危険がいっぱいですからね。その危険から身を守る能力として「不安に感じる機能」が備わっているのではないかと思っています。
理想の子ども像のときと同じように、外の危険(事故・誘拐・災害など)はまだ起きてはいない未来のことですが、事故に遭わないように、誘拐されないように学んで対策をしますし、災害にあったときのことを想定して対策をしますよね。
今できることを最大限やっているわけです。
実際、事前に知識をつけて対策する、 避難訓練などで予行練習をしておく以外、方法はない気がします。
もちろん、対策をしたからといって不安がないわけではないですが、これを子育てにも応用していけたら、まだ起きていない未来に対しての不安が生みだす悪循環を防ぐための対策を取れると思うのです。
それが、「育てにくい子ども」と向き合い、育てにくさを変えていくための最善の策ではないかと考えております。
振り返り~不安が生み出す育てにくい子どもと理想の子ども像~
生きているうちは、いろんなことに対する不安を持つことになります。単に育てやすい子どもであっても、不安はでてきます。
- 自分の気持ちを言えないのではないか
- 本当は習い事をやりたくないのではないか
- 精神的に病んでいないだろうか
結局、育てやすくても育てにくくても、子どもへの不安は少なからずあると思います。要するに、単純に考えた育てやすい子どもを望んでいるわけではないのですよね。子どもが自分で納得のいく人生を送ってくれればいいわけです。
こんな言葉、ありましたよね。
今できること、今日できることをやれるだけやって、それでも育てにくいと感じるなら、またそのとき考えればいいかって思ってみましょう。
次回からは実際に育てにくい子どもと向き合うための本質的な対策についてお話していきたいと思います。
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