【ADHDは習い事が続かない?】ADHDの子供が習い事を辞める9つの理由

ADHD

ADHDの特性があると習い事が続かない(1つのことが続かない)というのはよく聞く話。

こんにちは!ADHDでも習い事は続くよと思っている花緒です。

ADHDだから習い事が続かないのではなく、本人の特性とか先生とか親とか習い事の環境とか、いろんな要素が掛け算になって、結果続かないことはあると思いますが、それはADHDだからじゃなくて誰にでもあること。

習い事が続く条件も続かない条件も、みんな同じだと思います。

今回は、ADHDの子供が習い事を辞めてしまう理由を、ピアノ講師経験からとADHDの子育て経験から、9つ考えてみました。

子供がADHDだから習い事が続かないと悩んでいる保護者の方、ADHDの生徒がすぐに辞めてしまうと感じている講師の方に参考にしていただけたらうれしいです。

ADHDの子供が習い事を辞める9つの理由

花火を楽しむ女の子

ADHDだから、というわけではなく、習い事をしている子供全般に関わる内容も多いのですが、とりわけADHDの特性がある場合に怒りそうなことを想定して9つお話ししていきます。

ADHDの長男が習い事を辞めた理由も入ってもいます。

興味がない・おもしろくない・楽しくない

興味がなければ、おもしろくなければ、楽しくなければ続かない。習い事の王道です。

習い事をやる意味、みたいなところに関係してきますが、特性的に興味があればどこまでも猪突猛進に付き進めるのがADHDだと思っています。

「寝食忘れて没頭する」という言葉がピッタリだと思うくらい、1つの事に集中できるのです。

あれ?ADHDって集中力ないんじゃなかったっけ?

集中力がないんじゃなくて、興味がないことに集中し続けることが難しいっていうことですね。

っていうか、そんなのみんな同じじゃんって話なのですが。それでも、宿題だから、受験に必要だから、仕事に必要だからと興味がなくても過ごすことができますよね。頑張れば。

ADHDの特性はその辺が集中力がないと言われてしまうところだと思います。

ただ、ADHDは面白いこと、興味を見つけ出す天才だとも思っていて、新しい視点や新しい分野を見つけて広げてつなげていくことに才能アリだと思っています。

逆の発想で言えば、ADHDの子供が面白いと思ってやっていることは、これから新しい分野を作っていくものだったり、新時代に必要なきっかけだったりすることも考えられるんですよね。

ずっと同じものは飽きる、人と同じは飽きる、そういう感覚を持ち合わせているから、どんどん新しいことを見つけて開拓していく能力に長けているんだと思います。

ということで、興味がないから辞めてしまうのは、それがADHDの特性に合っていてある意味正解だとも言えると思います。

ただ、興味とか面白い面白くないって、やる前からわかることじゃないし、触りだけやってもその域に達しないじゃないですか。

そこがADHDの子供に習い事をさせる上で一番難しいところです。先生も親もひとひねりしないといけませんね。

ADHDの子供はパッと見て興味のあるなしを判断します。将来的には多面的に物事を見たり考えたりして、新しい物に変えていける先駆者的な立場になれると思うのですが、そうなるにはまず、たくさんの経験が必要です。

子供ですからね。まだ何年かした生きてないのですから、圧倒的に経験がなくて物の見方や考え方を知らない。

だから興味ベースで逆算した経験につなげる方法を、大人が編み出す必要があるんです。

今、ADHDの子供が何に興味があるのか、その興味に直結している習い事や関連している習い事はあるのか、と、子供の興味関心からたくさんの経験を体験できるのがADHDの子供の習い事だと思います。

先生が合わない・先生がイヤ

子供が習い事を辞める理由の王道でもありますし、親が子供の習い事を辞めさせる理由の王道でもあります。

私も自分の習い事は、先生との相性が合わないと感じた時点でスッパリ辞めてしまいます。それこそ、3か月も通わずに辞めたこともありますね。

先生との相性ですが、体験レッスンの時にわかるときとわからないときがあるんです。というのも、体験レッスンはいわば営業です。体験で入会してくれないと生徒が増えないわけですから、ある程度、入りやすいようになっています。

でも実際のレッスンは、習う時間が長くなればなるほど、先生の性格ややり方がわかってきます。気分屋なんだな、とか、この前と言ってることが違うな、とか、怒らせるとマルもらえないな、とか子供はよく気づくんですよね。

体験レッスンのときはわからなかったけど、先生のやり方、なんか好きじゃない、納得いかない→やっていけないに変わっていく。 そういうことってあると思います。

相性ってちょっとした「許せる・許せない」「好き・嫌い」「わかりやすい・わかりにくい」みたいな、先生が同じ言葉で表現を使っても、すんなり受け入れられるかどうかっていうことかなんじゃないかな、と思ってます。

だから、合わないと思ったら、

  1. 合わない人とどう接していくかの経験を積む
  2. 合わないとわかったので別の先生を探す

このどちらかの選択になるでしょうね。

私は習い事の目的を技術の習得と決めているので、先生が合わないと伸びるスピードが落ちるしストレスになってモチベーションが下がるから辞めてしまいますが、逆に1の発想も習い事をする目的に使えるんですよね。

その辺は子供の習い事の目的や親のスタンスで決めていいでしょう。

ただし、1は子供にストレスがかかりますし、習い事は親の強制になることが多いので、二次障害(習い事のストレスでメンタルを崩して体や心や行動に別の反応が出ること)にならないように親がメンタルサポートしてくださいね。

先生との相性を見極める3つのポイント

  1. 子供の話を最後まで聞いてから指導するかどうか
  2. 子供の発達や成長を把握しようとしているかどうか
  3. 自分のやり方を子供がわかるように通訳して指導しているかどうか

基本、ADHDの子供には、この3点をクリアしていない先生とは、相性が合わないと思っていいと思います。

先生が3つのポイントと違うタイプだったとしても、子供が先生に反応してついていけていれば大丈夫。相性が合っていると判断して様子をみましょう。

子供の話、と言ってもキリがないかもしれません。もしかしたら時間全部を話して終わるかもしれない。ADHDの子にありそうなシュチュエーションですよね。

でも先生に話したいことを全部話してからじゃないと、そういう子は先に進めない。それこそ指導されても頭に入ってこないから、また話を続けてしまうんです。

レッスン代をもらっているから、指導しなければという思いに駆られる先生も多いかもしれませんが、それは先生の問題。自分の任務を果たしたい、親に文句を言われたくないという先生の問題なんですね。

確かに親も文句を言うかもしれませんよ。先生なんだから、子供の話なんて適当に切って、レッスンしてよね、お金払ってるんだからって。

でもそれも、親の問題。親の勝手なエゴでしょう。

結局、子供の発達や成長に合わせて、自分のやり方を通訳できるかどうか。このスキルを持っている先生なら、先生と合わないという理由で習い事を辞めたりしないんですよね。

だから特性の理解が必要になるんです。うまく話を区切って、子供のやる気を引き出す方法は作れますから。

まだハイハイしている子供に、「右足でジャンプしてね」とか言っちゃう先生はアウト。子供が一生懸命やっていることを、「黙って先生に言われた通りにやりなさい」とか言っちゃう先生もアウト。どんな子供にも合わないと思うけど、特にADHDの子には合いません。

子供が二次障害に悩まされることになるので、見切りをつけて辞めていいと思います。

仲間が合わない・仲間がイヤ

個人レッスンの場合は関係ないのですが、個人競技でもグループレッスンの場合は関係してきます。

チームプレイの習い事はもちろんの事、一緒に習いに来ている友達と、どうしてもウマが合わなくてイヤになってしまうパターンはありますね。

本当はそこで、苦手な子ともうまく付き合っていく方法なんかを試すことができたらいいのですが、特性的にうまくいくかなーという感じはします。

相手との距離感がわからない

子供なんてみんな距離感わかってないと思いますが、例えば、「イヤだからやめて」と1回言われても、相手がイヤだと感じているから自分の行動をやめないといけないのか、という発想にはつながらないみたいです。

え?なんで?何がイヤなの?私はイヤじゃないけど?何がイヤ??

と次は何がイヤなのかをしつこく聞き始めるでしょう。そして、イヤな理由を教えてもらっても、「私はイヤじゃない」という思いから抜け出せず、理解できない・わからない、という感情を持ってしまう気がします。

人それぞれだと思うけど、見ているとそんな感じ。興味があればどんどん近づくし、何回やめてって言われても、ついて行っちゃう。

2~3回でわかるところ、20回くらいで何回も文句を言われ続けて「キライ!」と言われるようになって初めて「あれ?何かおかしいな」と気づくんじゃないかな。

1つの例ではありますが、そんな風になってからだと、習い事に行っても友達の目が冷たい視線に変わっていることもあるでしょうね。

「自分がされてイヤなことは相手にやらない」「こんな風にされたらイヤじゃない?」みたいに言われても脳的に理解が難しいから、ADHDの子供と一緒に習い事にきている友達との間に通訳が必要になるんです。

子供同士が、そのへだたりをなくせるようになるまでは、大人のサポートが必要でしょうね。それが先生の配慮であり、親の家庭での療育なんですね。

ちなみに簡単にはいかないかもしれないけど、ADHDの子供にその子にしかできない役割があると、この問題はクリアされると思っています。

チームプレイなんかは特に使えますね。多少、話がしつこくても、チームの得点王だったら、「あいつ、ちょっとしつこいけど、チームには欠かせない存在だな」ってチームメイトが認識して仲間になるんです。

だから、得点王をサポートして、チームに貢献するために、得点王をよく観察して協力しようとしますよね。それが試合以外の習い事時間にも影響してくる気がします。

これは先生にしかできないことなのですが、学級のクラスづくりとかにも活かせる方法だと思います。

ADHDの子供も健常の子供も付き合い方を知る必要がある

今の時代は、発達障害の子供が健常の子供に合わせるにはどうすればいいのかを療育や通級(特別支援教室)で勉強していますが、本来であれば双方で勉強していくことだと思います。

みんな違ってみんないいと思いなさい、いじめはダメですよ、みたいなことをいくら学校で教えても、具体的な付き合い方までは教えませんね。

上辺に出てきた言動・行動を見て聞いて、あれはダメこれはダメともぐらたたきのように叩いたとしても、根本が理解できていなから意味がわからないんだと思います。

こんなことを言ってはダメ、こんな表現はダメ、だと何億パターン覚えなきゃなんないの?ってなりますよね。

本来であれば、人間は協力し合って自然と共存しているわけですから、人間同士で戦争したりいじめたりしている場合ではないわけです。

できるところ+できるところを合わせて、生き抜く方向へ知恵や体力を使う必要があるわけですね。

だとしたら、ADHDの子供の能力をいかにして活かすか、健常の子供の能力をどう活かしていけばいいのか、ということになりますよね。

もはや、人の上げ足を取って蹴落としたり、相手が自殺するまでいじめている場合じゃないわけです。

ちょっと話が大きくなりすぎましたが、習い事に行くと、親も子供も、強い個性があるとどうしても「何?あの子?」「親のしつけがなっていないわ」みたいな視線で見るんですよね。

その行動を見て、次世代の子供達も、「あ、こうすれば社会になじめるんだ」って思っちゃう。だからいじめはなくならないと思うし、最悪の悪循環パターンで世の中は回っているところがあります。

もちろん、そうじゃない人もたくさんいるとは思いますが、悪循環パターンの人達が抜けない限り、この手の話は消えない。だからADHDは習い事の場に居づらくなるんです。特に親がね。

冷たい視線を浴びせられている我が子を目の当たりにすることは、自分の身を切り裂かれるくらい精神的にツライこと。

それこそ、何のための習い事なのかという話になって、辞めちゃうんですね。だから、発達障害の親子だけが一生懸命療育したところで、その他大勢の健常の方々も勉強しないと何も変わらないんですよ。

切ない悪循環。

というわけで、仲間との付き合い方など子供とゆっくり考えてみて、どうしても難しい場合は子供が発達するまで一時中断しましょう。

休会するか一度辞めるか、親子の判断によりけりですね。

習い事の環境・使う道具が合わない・イヤ

感覚過敏の子供に多い理由だと思います。例えば

  • 音が気になって習い事どころではない(幹線道路沿い・高架下など)
  • 教室のにおい・画材や道具のにおいが気になる
  • 感触が合わない(造形教室・絵画教室・実験系。)
  • 濡れた靴で走れない(外のスポーツ系)

まだあると思いますが。

造形教室や絵画教室での、粘土・やまとのり・絵の具などは触った感じやにおいが苦手だと難しいですし、筆と紙がこすれる音が苦手、周りの話し声か気になる、など意外と過敏な子供と習い事の相性は良くないんです。

感覚過敏の子供だけ別のものを使ったとしても、教室の中のにおいや音の場合はどうにもなりませんね。イヤーマフで対応できる範囲でやるか、そこまで望んでいないならやっぱり辞めるという選択肢になりますよね。

言われた通りにやらなければいけないのがイヤ・納得がいかない・親の過干渉

これは先生との相性の問題ですね。

先生のやり方と子供の間にすれ違いがあると思います。

子供流のやり方で一度失敗させてみればいいのですが、いろいろ難しい場合もあるでしょう。先生としては、どうしても今、自分のやり方で体験することで、子供に成功体験を積ませたいのでしょうが、たぶん、その子にとってはやり方が違う。それを子供が直感的に感じ取っているパターンです。

子供にもやり方があるということは伸びる見込ありのサイン

ここで親がやってはいけないのが、「黙って先生の言うことを聞きなさい」「できないから習いに行っているんでしょ」と子供の意見を聞かずに親の考えを押し付けてしまうこと。

子供に何かしらの信念のようなものがあって、そこから外れているから言われた通りにできないんですよね。そもそも興味がなければはじめにお話しした興味がないパターンですから、それとは別。

自分のやり方・考え方があるって、ある意味、子供なりの指針を持っているということだと思いませんか?

みんなと同じだと安心・安全のこの日本で生まれたのに、まだ何年かしか生きていない子供なのに、自分の指針を持つことができているわけです。

昔で言えば、「頑固」ってやつですよね。

力で動かそうとしても動かせないけど、戦力にしたら最強の味方じゃないですか。ちゃんと習い事に関して、子供なりの指針を持てているということは、これから伸びていく才能があるってことです。

もちろん、今やっている習い事だけじゃなくて、いろんな意味でね。子供の人生においてってことです。何事も点で見ないで面で見て、高度を上げて、これからAIも含めて考えた場合、自分の指針があればブレないし、ズレないし、突き詰めていけるでしょ。

できるまでやり続けるから可能になる。不可能を不可能だと思わないくらいの勢いで、追求できる能力なんじゃないかって思うんですよ。

だから頑固な子供ほど才能あり。だと私は思っています。そして、自分のやり方を貫きたい子供には、思う存分、子供のうちに自分のやり方の貫き方、どこでどういう助言をすればさらに伸びるのか、自分から人を頼って聞く経験などをさせてあげたらいいと思います。

と言う意味で、先生が特性を理解してくれそうにない場合、辞めて良しです。相性が合う先生に会えるのも巡り合わせですからね。

今、先生に出会えないから習い事ができないんだ・・・じゃないんです。あきらめないで一生懸命探していれば、会えると思う。というか、会えるような探し方をしてみて下さい。不可能を可能に変える!子供にやり方のアイディアをもらいましょうね。

親の過干渉は子供のやる気をもぎ取ってしまう

親の過干渉が子供にいい影響を与えないことは知られていることだと思いますが、干渉するって意外と気づいていない人、多いと思います。

他人のことに立ち入って、口出しをしたり自分の考えを押しつけようとしたりすること

干渉(かんしょう) /Wikipedia

干渉、と言う言葉だけだとイヤ、私は違うわ、という人は多いと思いますが、結構親の考えを子供に押し付けているってあると思うんですよね。

  • ○○しないと先生に怒られるよ
  • ○○ちゃんに負けちゃうよ
  • 一緒に入会した○○君は、もう次のクラスに上がってたよ、置いていかれてるじゃない

こういうのって、親の考えの押しつけだと私は思っていて、こういうのが激しいと子供は習い事がイヤになってしまうんですよね。

特に自分の考えややり方がしっかりある子の場合、親の考えを押し付けられると猛烈に反抗心が沸いてくると思うんです。

だって、自分を見てるんじゃなくて、他人を見て基準にしているんですからね。自分のやり方を基準にしている子供に、親が見ている他人の基準を押し付けられることほど納得がいかないことはないと思う。

自分は親に認められていないって感じるし、わかってくれていない、理解してもらっていない、受け入れてもらっていない、ってどんどん不信感が募ってくると思う。親のことを信じられなくなっていくっていうか。

これは親の考えであって、この接し方は子供のやる気とかをもぎ取ってしまう(根こそぎ取り除く)原因とかきっかけになってしまうと思うので、気づいたらやめてあげてくださいね。

自分のやり方を試したい・レベルアップしたい

先程の話と少し似ていますが、こちらは子供自らレベルアップを求めて辞めるということです。

先生によっては、自分は初心者専門、と思って一定のレベルまで行くと、次のレベルの先生を紹介してくれる場合があります。あとは独学でやれそうだから、自分で頑張ってという場合もありますね。

もっと上のクラスに行きたい、レベルの高い教室で学びたい、と思えることを応援してあげましょう。

こうなると、趣味とか特技のレベルを超えて、仕事につながる可能性大ですし、1つのことに打ち込んだ経験は、生きる充実感にもつながるので、習い事の意味は大きく達成されていると思います。

お金や通う場所に問題がなければ、喜んで応援してあげたいですね。

通うまでの往復がイヤ・辛い・道が怖い

週1でも通うって結構大変なことですよね。私は習い事を選ぶ時に、先生との相性に次いで通える場所を重要事項として考えています。

子供が1人で通うにしても、親が送迎するにしても、あまりに遠くだと時間が取られて辛くなってしまう、または習い事にいく往復の道が、夜になると誰も通らなくて怖かったり(安全面でも怖いよね)、上り坂がキツかったり、帰りの電車が満員電車だったりすると、どこかで心が折れます。

よっぽどその習い事のモチベーションが高くないと難しいでしょうね。

そもそも人と関わることが苦手・人がイヤ

そもそも論で人と関わると疲れてしまうタイプの子供がいます。

誰だって疲れるでしょ、ということじゃなくて、自閉症の特性がある子供も人とのかかわりはとても疲れるみたいです。

誰かと過ごすより、1人で過ごしたい。

そういうHSCのような気質や、自閉傾向がある子供の場合は、学校だけでも疲れてしまうのに、さらにまた人や仲間とかかわらなければいけないとなると、時間と共に辛く感じてしまっても仕方がないかな、と思います。

ま、習い事も良し悪しなんですよね。習う側のタイプも関係してきますから。誰でも習えばできるようになるわけじゃないし、勉強のやり方とかと同じで、その子なりのうまくいくやり方があるんですよ。

もし、子供なりのうまくいくやり方が、外に習いにいくのではなく、独学した方がうまくいくのであれば、独学をおすすめします。

また別記事で独学についてはおはなししたいと思いますが、何でもね、最終的には独学になるんですよ。教室に習いに行っていても、何かを習得しようと思ったら、いかに独学するかにかかってます。

そのきっかけを習い事では体験できるわけで、環境が合っていないなら変えればいい。そうやって柔軟に環境を変え、手を変え品を変え、目的やゴールに向かっていく術を体験できれば、それこそ習い事と同じですよね。

この項目は、親の理解度にかかっています。ついでに言うと、興味があることを見つけたら、真っ直ぐに向かっていけるタイプだと私は思います。

環境を用意してあげれば、勝手に伸びる可能性大!

今は習い事よりもとにかく遊びたい!

これは仕方がないのではないかと思いますし、子供が正解だとも思います。これだけ素直に、今は遊びたいんだ!という気持ちが強いのであれば、遊んだ方がよっぽどいいかもしれません。

子供の成長や発達を含めたいろんな面で考えてもね。

大切なことは、子供が今、「やりたいことがある」とちゃんと親に伝えられたことなんですよ。習い事を続けることもできれば経験させておきたいことだけど、習い事よりも自分のやりたいことに時間を使えることも同じくらい大切な経験だと思うんですね。

この辺のさじ加減は、それこそ習い事の先生が子供を見極めて教えていくのと同じで、親のさじ加減で決めていくことでしょう。

親の方針にもよると思いますが、習い事は親子で納得して続けるのが一番ですよね。

振り返り|そもそも論で子供は興味がなければ続かない

サッカーのおもちゃで遊ぶ子供の手

ADHDと習い事について、いろんな見解をお話ししてみましたが、結局子供はみんな、興味がなければ続かないと思っています。

親の強制で5年習ったとしても、身になっていなければ「やらされた感」と「つまらない」のイメージを植え付けるだけの習い事。

もちろん、強制で始まる習い事が身を結ぶものもありますよね。イヤイヤ空手を習っていたが、心身共に強くなれて、夜道も怖くなく歩けるとかね。

先生の立場から言えば、興味を持って楽しく面白く習ってほしいけど、どんなタイプの子にも習い事が合うとは限らない。その辺りを踏まえた上で、自分の子供が習い事が向いているのか独学が向いているのか(親が教えるを含めて)を検討すればいいと思います。

あとは何でもやってみましょう。入会金はかかるけど、いっぱい試してみたらいいと思う。または、やってみたいという習い事を次々やってみればいいと思う。

ちゃんと子供に合うところを探す、やってみたい事を探す、という意味を子供に説明してやればいいのです。親がメンタルフォローさえできれば、「僕はできない人間なんだ」にたどり着く事はないでしょう。

「ADHDだから」は気にするところじゃないよ、ということ、わかってもらえましたか?

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