こんにちは!学習障害の長男は読みも書きもアウトなので、全支援してきた花緒です。
来年、中学進学を控え、就学相談などで着々と準備を進めていますが、その中で問題になるのがやはり長男の学習障害。特に書きの障害に関してです。
大人はiPadなどの代替手段の使用を勧めていますが、長男はずっと拒否し続けています。
読めない・書けないということだけではなく、学習障害の子供にしかわからない事情についてお話ししていきます。
今日の質問|学習障害の子供が漢字が書けなくて困っています。検査を受けた方がいいのでしょうか?
子供本人が漢字が書けない事で困っているのであれば、検査は受けてみた方がいいと思います。
まず、発達障害も同じだと思いますが、学習障害の困りごとに関しても1人1人の違いの差が大きいと思っています。
「子供が漢字が書けない」という困りごと1つをとっても、
- 漢字を認識できない
- 漢字の認識はできるが書けない
- 漢字どころかひらがな・カタカナも書けない
- 漢字だけではなく数字も書けない
など、パッと思いつくだけでも4つあると思います。
検査を受けたから、学習障害がどうにかなるわけではないのですが、何かわかることもあるとは思います。
子供の漢字が書けないレベルというか度合いのようなものをまずは明確にして、発達検査を受けるだけ受けてみましょう。
検査を受ける場合は、学校の先生、スクールカウンセラー、特別支援コーディネーターの先生、市の教育相談、地域の保健センターなどで情報を教えてもらえます。
そちらに確認してみてくださいね。
学習障害の検査を受けて、何がわかるのか、その結果を受けた私の対応など、この後おはなししていきますので、合わせて参考にしてみてください。
ちなみに長男の場合は、気持ちは合っているけど全然違う漢字を書いていました。
気持ちはわかるけど・・・・、切ない長男の漢字事情。これでも枠の中に字が収まっているだけ上達しました。以前は枠に入りきらなかったので。
学習障害の子供の「漢字が書けない」という現実の裏にある問題点
学習障害の長男を支援しているうちに、ある問題があることに気づきました。
※学習障害の定義についてはこちらをご確認ください。
発達障害関連の名称などは変化しているものもあると思いますので、各自、詳細は調べてくださいね!
学習障害の基準が親にも学校でも分からない問題
子供が学校に入ると、明らかに他の子よりも字が書けない、ノートの書き方に違和感がある、など親や先生が何かしら気にすることがある場合。
担任の先生は、1クラス分の子供のノートやテストをチェックするわけですから、同年代の発達と比べ、明らかに何かが違っている子供はわかるのではないでしょうか。
親も子供も何か変だな、何かが違うな、と思いながら「何か」がわからないから「?」と思ったままになってしまいます。
たったこれだけのこと?と問題なく字が書ける人は思うでしょう。
しかし、学習障害の子供たちにとって、字を書くということは、問題なく字がかける人が想像している以上に難しいことのようです。
私は学習障害ではないので、その辺りの大変さが全くわからないのですが、発達障害で学習障害の長男を支援しているうちに、いろいろと気づくことがありました。
まず、親も先生も、子供が「漢字がうまくかけない」事実を目で見ておきながら、学習障害の可能性があるのかどうか判断できないということです。
子供が漢字を書けない現実を受け入れられない
何を基準に判断するかわからない上に、違う「何か」が明確にわからないため、漢字を書けない事実を後回しにしてしまいがちです。
人の発達は、人それぞれです。学校のように年齢で区切ったとして、4月生まれと早生まれの3月末生まれでは1年違いますよね。
さらには個々の発達の違いなのか、それとも学習障害なのか。何を持って、もう少し発達を待てばできるようになると言えるのか、どうなっていれば学習障害なのか、その見極めは正直よくわかりません。
漢字が書けないということは、ある種の悪夢のようなイメージを持っているだけで、夢から覚めたら書けるかも、という幻想をいだきつつ、でももしかしたら、漢字が書けないことが現実なのかもしれない、とどこかで思ってしまう。
- ちゃんと教えてないから書けないのかも
- 子供のやる気がないから書けないのかも
- もっと頑張れば書けるかも
「できるのかも」という可能性はある意味、間違っていないと私は思います。でも現実、今、漢字が書けないことも事実。
漢字が書けない子供が大人によって追い込まれていく仕組み
熱が出た、鼻水が出た、咳が出た、とわかりやすい症状であれば病院に行けるのですが、漢字が書けないから病院に行く人はなかなかいませんね。
それは、先ほどお話ししたように、病院に行く症状の基準がよくわからないからです。
なんとなく、ちょっと違うかも、できるのかもしれないけど、できないのかもしれないし。と感じることもあやふや。子供が言ってることもあやふや。
なので、漢字が書けないかもしれない不安を胸に抱きつつ、漢字を書かせてみるとやっぱり何かが違う。漢字が書けていない。
そんな事実を一旦横に置いておいて、頑張ればやれる!努力すればできる!という現時点での妄想と、できてほしいという大人の理想をプラス。
これでできるようになる子は、文字がかける脳のしくみをもともと持っている子供達。そして、中には、やっぱり漢字が書けない子供もいるんです。
ひらがな・カタカナまではなんとか頑張って乗り越えたとしても漢字はちょっと雰囲気が違う。
さらには、自分は漢字が書けないんだ、みんな出来ているのに自分だけできないんだ、という違和感を感じて、空気を読めるようなタイプの子は、出来ない自分を自然に責めてしまうのではないでしょうか。
学習障害の疑いがあっても検査を受けられない場合もある
でも、学校の先生に聞いてもよくわからないし、発達障害などの相談先に聞いてもよくわからないし、発達障害を診断してくれる先生に聞いてもはっきりしない場合、はざまにハマってしまうと親子でどう解釈していいのかがわからなくなるのです(次男)
次男も字の書き方がちょっと違うと思っていて、次男が幼稚園の頃から相談先に話したり、幼稚園や学校の先生とも相談しながら、学習障害の診断を受ける前から配慮を求めてきました。
- 書く字が薄い
- 縦書きも横書きもちょっとずつズレて曲がっていく
- 書くモチベーションが3行しかもたない(以降は読めない字がフワフワと書かれている)
- 相当気合を入れれば書ける(その後とても疲れる)
- 字や枠がわからなくなってどこに書けばいいのかわからない
発達検査を受ける年齢にもよりますが、ウィスクだけだと学習障害かどうかはわかりにくいようです(ウィスク上は問題ない)。
でも、相談先や児童心理の医師に学習障害の検査を依頼しても、イマイチ乗り気にならないらしく、1年近く保留になっています。
相談先では、もっと困っている資料(ノートやプリントなど)を提出してもらってから検討しないと、と言われて、私はもう、学習障害の検査依頼はやめようと思いました。
え?数の問題なの?とちょっと納得がいかなくて。こちらは現在、一旦保留。次男は半不登校中なので字を書かない授業に主に参加していて本人的には問題ないみたいです。
学習障害の検査をすれば漢字が書けるようになるのかがわかるのか?
私は、長男を家庭で支援するために、発達障害検査のフィードバックを毎回お願いしています。(お願いしなくても勝手にフィードバックされます)
どういう検査をして、どういう結果が出たのか?それは何を意味するのか?
子供の発達検査を受けた方ならご存じかもしれませんが、検査の内容は教えてはもらえません。確かに検査内容が公になれば、正しい検査結果が得られないこともあるでしょう。
でも教えてもらえないと、どう判断していいのかわからないんですよね。
判断は、心理士さんや医療の医師の仕事と言われてしまえばそれまでなのですが、ざっくりまとめて大まかに表現されてしまうんですよ。
- 漢字や文字、図形の認識ができる
- 漢字や文字、図形を思い出す事が基準を大幅に超えて難しい
これは、長男が中学の就学相談で受けた、直近の検査結果です。
発達検査関連のことは、その内容については詳しくフィードバックされることはありません。なんとなく、こんな感じの問題をやった結果、こんな回答をしたので、こういう結果になっています、というフィードバックがほとんどです。
そして、書くことに関しては非常に難しいので、代替手段を使った方がいいでしょう。配慮を求めて支援が必要でしょう、とアドバイスされるわけです。
大体手段とは、アイパッドやプリンタを使ってノートやテストの提出をするということです。
本来、検査をすればある程度の原因らしきものや傾向がわかって、そこにアプローチしていけるから解決策や対策を考えられますよね。
でも、発達検査の場合は、残念ながらざっくりフィードバックなので、何がどうなって長男がこうなっているのか、何をどうすれば変わる可能性があるのか、という、俗にいう検証ができないのです。
なので検査をしても漢字がかけるようになるかは、正直、わかりません。
「支援のヒント」という、親や先生は子供にこういう対応をしましょう、というヒントは教えてもらえますので、その通りに動くか、そこから推測するしかないのが現実です。
漢字が書けない仕組みや、脳の神経のつながりや、一般の人との神経のつながりの違いや、認識の違いなどがわからないから、どうすることもできないのです。
そんなこと、普通考えないのかもしれませんね。私だけが追い求めていきたいだけで、普通の親は「わかりました」って終わるのかもしれません。
学習障害の子供にしかわからない当事者の事情とは?
- もしかしたらやり方が違うだけかもしれない。
- 普通の教え方じゃなく、子供が理解できる方法さえ探せれば、書けるようになるのかもしれない。
この可能性を捨てきれなかった私は、自分で長男がどのように漢字や文字を理解しているのかを、研究してみました。研究は大げさか。観察ですかね。
その背景には、学習障害の当事者じゃなければわからない子供の事情があるからです。
実際の観察結果は次回詳しくお話しします。今回は子供の事情についてお話しします。
学習障害の子供の中には配慮を嫌がる子供もいるという背景
長男の場合は、鉛筆やペンを持って字を書くこと自体が、普通の人よりも大幅に難しく、電子辞書やiPadなどを使う必要があると指摘されています。
その度合い(検査結果からすると)がかなり低いので、普通級に所属することも検討した方がいいかもしれないレベルです。
これから中学に進学するに向けて、何をどう考えても読み書きが難しい学習障害の長男が、いろんなことがわからなくなっていくことは目に見えているわけなのですが、当の本人は代替手段を使うことを以前からイヤがっています。
要するに、人と違う方法で学校生活を送ることがイヤなのです。
自分の苦手さを認めていないわけではない
長男は、自分が発達障害で学習障害であることはよくよくわかっていて、そのメリット・デメリット、さらには自分の性格や敏感さ・鈍感さまでわかっています。
- 自分にはできること→人を助ける部分
- 自分にはできないこと→人に助けてもらう部分・人に配慮をお願いする部分
当然、字を書く事が、周りの友達と比べると圧倒的に苦手であることはわかっています。
でも、だからといって、iPadを持って、プリンタを持って、自分だけ鉛筆を持たないで授業やテストを受けるのはイヤ。ということです。
恥ずかしさももちろんありますし、人とは違うけど、違う行動を取ってまで友達と同じにしなくてもいい、という長男なりの考え方です。
成績自体は悪くないですし、授業は理解しているものは理解しています。それなりに社会の処世術も分かってきているみたいなので、今はそれでいいと長男は思っているようです。
それは、担任の先生が、ある程度ひらがなで書いてもOKにしてくれているから。そして、漢字のテスト以外の感じの間違いは、スルーしてくれているからです。
担任の配慮なしには、長男の学校生活は成り立ちません。
本人の意志と大人の配慮の温度差
本人の意志を優先して、私は代替手段を長男に無理に勧めてはいませんが、中には親の方が一生懸命学校や教育委員会に掛け合っている人もいるようです。
思春期の時期も重なって、本人がイヤがるケースも多く、親や先生などの大人と、当事者である子供との間に、支援をめぐる温度差があるようです。
学習障害の子供でも代替手段を使わずにできる方法はないのか?
たぶん、ないからみなさん困っているんですよね。
うちも同じです。私もかなり頑張って調べましたが、結局、答えがない。対策がない。どうしようもない。
だって、みんな困りごとの度合いも考えも違うんですからね。
ならば長男の学習障害と格闘してみようじゃないか!と思い立ったのが長男小4の頃。
- もしかしたらやり方が違うだけかもしれない。
- 普通の教え方じゃなく、子供が理解できる方法さえ探せれば、書けるようになるのかもしれない。
いろいろ試してみた過去の結果は簡単ですが漢字が書けないってどういうこと?!という記事でまとめていますので、過去はそちらをご覧ください。
結果、対処療法的な感じにしかならなくて、小6の夏、最終手段として新たな取り組みをやってみました。
これがうまくいかなかったら、できる範囲で書いていくか、代替手段に切り替えるという2択にするということで、長男と試した結果を、次回、詳しくおはなしします。
結局、子供に合わせて、子供自身が、親が、先生が、何かしらの対処・対策を考えるしかないわけですね。
振りかえり|学習障害だからといって子供が大人の理想通りに割り切れるとは限らない
代替手段を使う・使わないのはなしね。
大人は、文明の利器があるんだから、便利なんだから、使った方がラクなのに。と軽く子供に勧めます。
学習障害のセミナーや対応法・対処法の本などでもよく書かれています。
でもやっぱり、現実を生きている子供の目からみる子供自身の社会は、大人の理想通りにはいかないでしょう。
私も長男と同じ学習障害だったら、自分はできない派でイイヤって思うと思います。
正直、道具を持っていくのも面倒だし、1人だけ違うことで、イチイチ説明するのがめんどくさいです。クラスメイトにも、先生にも、みんなに説明が必要。
それなら、みんなの頭に当たり前のように刷り込まれている、子供はノートと鉛筆で勉強をするもの、勉強は教科書や参考書、辞書を自分で読むもの、本は読めるもの、という理想像を演じてできない方がはるかにラクだと思ってしまいます。
自分の本当の実力が、学習障害の特性があるために、他の人の目では見えないとしても(テストのこと)、だから?私は私だけど?って思います。
もちろん、代替手段を使えれば今できる理想の対応になるんですよ。実際、そうやって代替手段をうまく使って、学校生活を楽しく送っている子供もテレビで見たことがあります。
ちょっとうらやましくも思いますが、長男はそのタイプではないということ。そして、長男と同じように、自分だけ違うのはちょっと抵抗があるなと思う子供もいるということです。
将来、進学も他人も評価も、テストの点数以外でも評価される時代になるとか。
または子供はみんな、ガジェット系を使って勉強することが当たり前で、本もノートも鉛筆もなくなれば、学習障害の子供達が何かをあきらめたり、後ろめたい思いをしなくても済むのでしょう。
思春期になれば、心の成長もありますし、自分以外の他者もより一層、子供の生活に関わってきますので、大人の理想を押し付けることだけはしないように、子供の意志も大事にするようにしていきたいですね。
たとえ、大人の理想や提案が、子供のためになるとしても、ですよ。
理想論だとしても、きちんと親子で話し合い、子供が納得した勉強ができる方法を、一緒に考えていきましょう。
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