発達障害は生まれつきの脳機能の問題であり、治ることはない。というのが発達障害の世界では当たり前の話で、私もずっとそう覚悟して接してきました。
結論としては、長男の自閉症スペクトラム障害の特性が治ったわけではないと思います。ただ、中2現在、長男の自閉症の特性は、かなりの部分でわからなくなった、と感じています。
本日は、高機能自閉症と診断されていた長男に、全力で療育をしてきた結果、中2現在、本当に自閉症でしたっけ?と感じるまでに成長しましたよ、というお話をしたいと思います。
長男を今まで育ててきた、私本人の体験談ですので、今現在、自閉症スペクトラム障害のお子さんの参考になるかどうかはわかりませんが、子育てや支援のヒントになる情報があれば参考にしていただければと思います。
かなりの長文になっておりますので、お時間のあるときに少しずつお読みいただけるといいかと思います。
自閉症スペクトラム障害と診断された頃の長男(~4歳)の様子
初めて長男が発達検査を受けたのは、4歳になったばかりの頃。田中ビネーでした。
医師の診察はすぐに取れる状態ではなかったので、地元にあった療育センターの心理士さんが行ってくれた田中ビネーの発達検査。
医師ではないので、診断は出せないという条件付きでしたが、「発達障害のグレーゾーンであることは間違いなく、社会性が2年半遅れ」と言われました。
当時の長男の様子はどこから見ても普通じゃなかった
今思い出しても、心がキューっと締め付けられるような感覚が思い出されますが、4歳までの長男の様子はどうみても普通の子供の様子とは違っている、という確信がありました。
- 目だけ横目にしてダッシュする
- プラレールの電車を寝ながら動かすこと〇時間
- オウム返し
- 段差を飛び降りれない
- 習い事の体験レッスンで一人だけ全く違う行動を取る
- こだわりと同じ行動の繰り返し
- 手をつながない
などなど、まだまだあるのですが、キリがないのでやめました。
簡単に説明します。
目だけ横目にしてダッシュする
そのままなのですが、顔と体は前を向いているのに、目だけ横目になっていて、そのままザーッと走っていました。
フェンスや柵があるところでやっていたので、見える何かを楽しんでいたのだと思いますが、正直、怖かったです。
言ってはいけない表現だと思うのですが、我が子の頭がどこかおかしいと察した瞬間でした。
長男本人は楽しそうなのですが、当然ですけど前を見ていないですし、この状態で固まって走るので非常にあぶない。
当時住んでいた団地の駐車場でよくやっていましたが、車が急に来たりするのでヒヤヒヤでした。2歳くらいとかからやっていた気がします。
保育園の先生に、結構マジで相談したのですが、2歳くらいだと何とも言えないと言われる始末で。ものすごく心配していました。
プラレールの電車を寝ながら動かすこと〇時間
プラレールをいつ買ったのか忘れてしまったのですが(3歳くらいかと)、とにかく寝っころがって電車(機関トーマス)を手に持ち、テーマ曲を歌いながら前に後ろに走らせること、〇時間。
ご飯ですよ、と声をかければちゃんとご飯を食べますし、トイレやお風呂も問題なくやれていましたが、以外の時間はすべて同じ姿勢と同じ行動。
少し大きくなってから何をやっていたのかを聞いたことがあるのですが、プラレールの電車のタイヤが全部違うので、タイヤの回り方を見ていたようです。
集中力がある、という次元のことではなく、本当に同じ場所で、同じ姿勢で、同じ行動をずっと繰り返す3・4歳児、って、いったい何なの?って思いませんか?私は思ったんですよ。
とはいえ、私も没頭すると6時間くらいは平気で時間を過ごしているので、人のことは言えないのですが、こと自分の子供のこととなると、異常に見えましたね。
なぜか、私の父がそんな長男の姿をみて、「集中しているときは、好きにさせておけ」と私に言うので、そのままにしていました。
でも、なんか変なんじゃないか、このまま一生電車を走らせて終わるんじゃないか、という不安が常にあり、結局公園に連れていったりしてしまいましたね。
一生このままだ、なんてことあるわけないのですが、自分の不安が強すぎて冷静に考えられなくなっていたと今では思います。
オウム返し
どこかの記事に書いた気もしますが、私が長男を怒ったときに、
「何でそんなことをしたの?」と聞いたら、「何でそんなことをしたの?」と全く同じ言葉を返され、ハッとしたのでした。
なぜハッとしたのかと言うと、私が小学生の頃、ほぼコミュニケーションが取れない自閉症の友達がいまして、その子が私が言う言葉をそっくりそのまま繰り返すことが多かったんです。
長男が私の質問を繰り返したとき、「あれ?自閉症なのか?」と昔を思い出したんですよね。
で、子育て支援センターに相談に行き、療育センターで田中ビネーの発達検査を受ける流れになったのです。
段差を飛び降りれない
長男は幼少期かよく動く子でした。ADHDもありますので、とにかくずっと動いていて、止まっていることはほぼなかったでしょう。
子供なんで、そんなもんなのでしょうが、それだけ体を動かしていながらですよ、段差を飛び降りるときに、着地できないのですよ。
普通、飛び降りたら、前向きのまま着地するじゃないですか。
なのに長男は、後ろ向きになっておしりで着地するんです。何度もね、見本を見せたんですよ。
ソファーや外の段差とか、本当に10センチとかしかない段差とかでもですよ、くるっと回っておしりで着地するんです。
要は「意図的に転んでいる」っていう状態になります。
これは幼稚園に入り、作業療法を本格的に始めてから徐々になくなっていきました。ちゃんと前向きに着地できるようになりました。
結果としては体感がよろしくなかったようです。感覚統合の療育を何年か続けたおかげで、なんとかなったわけですね。
習い事の体験レッスンで一人だけ全く違う行動を取る
当時住んでいた地元のイベントで「3歳からのヒップホップ」的な体験レッスンがあったので、参加してみたんです。
長男はちょうど3歳になったばかりだったと思います。
3歳くらいから大きい子ですと小学校低学年くらいまでいたと記憶しています。
30人くらいの子供が、公民館的な場所でヒップホップの体験レッスンをしており、先生の踊る様子に合わせて一生懸命真似をしていました。
そんな中で、一人だけ(長男のことです)先生の回りを、ものすごく楽しそうにグルグルと回っている子がおりまして・・・・・
しかも、手をついてゴリラのように回っているわけです・・・・・
穴があったら入りたかった。すぐにでもその場を立ち去りたかったのですが、超絶ハイテンションになってしまっている長男を止められず、先生もそのままで問題ないですよ、と何度も言うので、最後までそのレッスンに参加しましたが。
このレッスン参加を機に、長男は普通の子ではないと自覚し、公共の場には出るのをやめようと決意したのでした。
何よりも、そんな長男のことを「あの子何?大丈夫?」的な目で見る、親の視線が痛すぎて、HSPの私はその場にいられなかったんですね。
体力が有り余っていた長男が、少しでも発散できる場があればと思ってダンスレッスンに参加してみましたが、習いごとは無理かもしれない、と悟った日になったことは間違いないです。
こだわりと同じ行動の繰り返し
こだわりは自閉症系の困りごとでよくある、いつも以外の道を通りたくない、というやつですね。
この道じゃないと、たどり着かない。といって座り込んで動かないとか、これ以上行けないとか、さまざまありました。
長男を療育センターに連れていくきっかけともなった行動の1つに、公園の土手から降りられない、というのがありまして。
雨上がりの公園で、土手から広場に入るタイプの公園に遊びに行ったのですが、いつも降りている道が雨でぬかるんでいたんで、次男を連れた私は、別の場所から広場に入ったんですよね。
そしたら、いつもどおりの道から広場に入ろうとしている長男が、滑ってしりもちをついたまま、動けなくなって泣いていました。
3歳後半でしたし、高低差もそんなにないので、ちょっと周ってくればいいのに、とアドバイスをしても、どうしても降りられない、この道じゃないと僕は遊べない、と大泣きしましてね。
本気でどこかおかしいんだと思いました。
そして、同じ行動の繰り返し、というのは、プラレールを前後すること〇時間、砂場で砂をサラサラすること〇時間、鉛筆で紙に納得の〇を書けるまで〇分、みたいな感じです。
幼稚園の頃の担任の話では、長男は「遊びが発展しない」と言われていました。作業ともいえるようなことをずっと繰り返していて、飽きもせずにずーっと遊んでいると。
担任の言葉に、やけに納得したのを覚えています。
手をつながない
とにかく手をつないでくれませんでした。
衝動的にどこかに走って行ってしまうので、外に出たら手をつないでほしかったのですが、全く手をつながず。
結局、次男をスリングで前に抱っこし、長男を後ろにおんぶするしか、外に出る方法がありませんでした。
自転車のところまで長男をおんぶし、直接子供載せ自転車の後ろに乗せてからじゃないと、外を移動することができなかったんですね。
ベビーカーにもほぼ乗らなかったので、もう、万が一、車にひかれてしまっても、私にはどうすることもできない、と覚悟を決めていました。
幼少期のADHDは本当に怖かったです。
自閉症スペクトラム障害に見えないと思う中2長男の様子
では、長男が自閉症スペクトラム障害に見えなくなってきている、と感じているのかをお話していきたいと思います。
場の空気がわかるようになっていること
小4後半くらいからですかね。
「明日は絶対に学校を休めないような気がする」
と言い出したことがありました。
よくよく話を聞いてみると、小学校の総合の授業で、チームごとに発表をするために、担当割や原稿書きをやらなければいけなかったみたいなんです。
同じチームの友達が、一生懸命取り組んでいる様子や、自分が何かしらの役割をもらっていたので、原稿書きがうまくいっていなくても、「休んだら友達に怒られるかも」って思ったようでした。
このあたりから、場の空気感を察するようになり、私の機嫌が悪いことを察するようになりました。
学校の担任が怒っているときに、あくびをしたり、早く終わらないかなーなんて爆弾発言をしていた長男ですが、友達に都度突っ込まれているうちに、担任の顔色や友達の空気感を感じ取れるようになったんですね。
「経験値が積まれた」
ということなのでしょう。
中2になった現在では、アニメやドラマ、映画の展開なんかも予想し、ほぼ合っています。
驚くのは、登場人物の気持ちにもフォーカスし、さらには自分だったら嫌だな、という一般ピーポー的なことも言えるようになっています。
場の空気が読めることで、気をつかうようなことも出てきてしまうとは思いますが、良いか悪いかは別として、自閉症です、という感じはないな、と感じます。
話せばわかることが増えてきたこと
長男とちゃんとコミュニケーションが取れてるな、と感じるようになったのは、小4あたりからです。
それまでは、私の問いに長男が答える、またはその逆。
会話というより、御用聞きですね。
年齢とともに、順序だてて話すことを理解し、それならこうしなきゃいけないな、なんて自分の考えを言ってくれるようになったときには、だいぶ感動しました。
幼少期の「オウム返し」や、ひたすら自分の遊びに没頭する長男と、まさかの会話ができるようになるとは、当時の私はそんな未来を予想できなかったですね。
パニックをおこさなくなったこと
はっきりと記録を残していたわけではないのですが、私の記憶では、小4あたりに一度、次男と喧嘩して、パニックになりかけたのが最後だったと思います。
長男は、パニックになると、行動が止まって動けなくなってしまうタイプでしたので、手に負えないタイプではなかったのですが、やはりパニックに陥っているときは辛そうで。
言葉にならないうめき声を出しつつ、体は動かず。みたいな感じで、30分以上そのままのときもありましたから。
中学に入学するときも、念のため、パニックになっていた過去があることは学校に伝えてありますが、学校ではもちろん、家でもパニックは起きていません。
わからないことは積極的に友達に聞いていること
小学生の頃は、何がわからないのかさえ、よくわかっていなかった長男。
理解ある担任が、長男の様子を見つつフォローし続けてくれたので、友達とのコミュニケーションにも大きな問題もなく、楽しく過ごせていました。
小学校の頃の友達の大半が同じ中学だったので、現時点でも友達に困ってはいないのですが、中学に入ってから変わってきたことと言えば、わからないことはすぐ友達に聞く、ということ。
クラスのグループLINEがあるみたいで、授業のもちものや宿題など、誰かしら答えてくれるみたい。
さらに、オンラインゲームでも友達と会話をしながら、バーチャル空間で遊んでいるので、コロナ禍でも毎日友達とコミュニケーションを取っています。
すぐに友達に聞けて、友達もすぐに答えてくれる。
友達から質問がきたら、長男が答える。
成長したなーって思うと同時に、コミュニケーションに大きな困り感がなければ、自閉症スペクトラムのあるあるな困りごとは、なくなったと考えても良いかもな、と思ったのでした。
なぜ長男は自閉症スペクトラム障害が治ったように見えているのか?【花緒論】
おそらく、本当に治ったわけではないと思います。
脳神経の問題なので、治る、とかの次元の話ではないことは、私自身、これまでの勉強からも察しています。
ここからは、私独自の完全な推論になりますが、なぜ、長男は自閉症スペクトラムに見えなくなってきたと思うのかについて、お話してみたいと思います。
次男と遊んだこと
幼稚園の頃、当時の担任から「長男君の遊びは、同じことの繰り返しで、発展していません」と言われていました。
次男が大きくなるにつれ、同じ行動を繰り返す長男の横で、次男の遊びは次々と発展していきました。つられて長男も一緒に遊ぶうちに、「遊びが発展する」ということを覚えたのでしょう。
ごっこ遊びや人形遊び、のようなものができるようになりました。
たいていの子供が小学校低学年には、このような遊びがなくなっていくのに対し、長男は小2あたりまでは、戦隊ものの人形で遊んでいましたね。
友達の家に遊びに行っても、友達のお人形でずっと一人で遊んでいて、長男の友達に「赤ちゃんみたいだね」って言われたのを覚えています。
作業療法で感覚統合をしたこと
年長の頃から通っていた作業療法。
担当の療法士さんと相性がよく、感覚統合をやってもらっていました。
- 体が傾くと「ギャー」と言っていた
- ブランコに乗れなかった
- 腕立て伏せのようなことはできなかった
- トランポリンが飛べなかった
当然、縄跳びも飛べず、幼少期は三輪車がこげず、道具を使うようなもの、体のバランスを取るようなものの大半はできませんでしたね。
最終的には自転車にも乗れたし、縄跳びも飛べるようになったし、トランポリンやブランコも無事クリアしました。
目の筋肉が弱かったことで、字をうまく読めず、頭の回転速度と指先で字を書くスキルの統合が取れず、字がちゃんと書けないということもありました。
学習障害と診断されており、読みよりも書きの方がヤバイと言われていたのに、現時点では字を書くことに大きな問題はないみたいです。
感覚統合の作業療法サマサマです。
心理療法を受けたこと
作業療法と同時に、心理療法も受けていました。
自分と人の考えは、違うのだ、ということを、さまざまな教材や心理士さんとのやりとりで体験していきました。
こういう療育系のことって、やったからって効果あるの?と思う人もいると思いますが、やらないよりはやった方が経験値が積まれますので、効果はあると思っていいと思います。
もちろん、子供や担当の人との相性が合えば、の話ですがね。
家庭での療育を続けたこと
療育センターでの療育だけではなく、実は家でも療育じみたことをやっていました。
療法士さんや医師からアドバイスをもらったことはもちろん、本で読んだこと、ネットで調べたこと、などをどんどん実験してみました。
中でも、学習障害の読みの訓練で、映画を使ったことにより、俳優さん演じるキャラの気持ちや関係性、空気感などに触れることができたと思います。
あえて、アニメではなく、実写を選んだこともよかったのかもしれません。
家だと、最適なタイミングで療育を発動できるので、チャンスは逃さない、といった感じで割と効果はあったと思います。
小学校通級担任があきらめなかったこと
小学校のときの通級の担任の先生が、とにかく長男の学習障害の困りごとについてあきらめませんでした。
長男が興味があるというマンガやアニメをみて共通の話題をつくり、カブトムシやクワガタが好きだということから一緒に知識を深めてくれ、卓球をやりたいと言えば、通級時間中の個別時間に、机を並べて室内卓球をやってくれました。
相手の思いをくみ取るアナログゲームや、手先を使う染物などの体験もあり、長男も通級の担任を信頼していたみたいです。
小6の新学期、突然その担任はいなくなってしまったのですが、テスト問題レベルの長文が読めて理解できるようになったのは、その担任のおかげだと思います。
長男がすべての療育を嫌がらなかったこと
中2になった今でも、私が何か療育的な話をしようと持ち掛けても、嫌がることなくちゃんと話を聞いてくれます。
そして、納得がいくことなら、実践に協力してくれます。
これまで、家庭療育でやろうとしたことを、長男に断られたことがないんですよね。一応、考えている段階で話をもちかけ、長男の了解がでたら、材料などをそろえていましたから。
私の方もやろうと思っていたことが全部できたことで、悔いが残っていないのですよ。これは結構よかったことだなと思います。
漫画が読めるようになったこと
先ほども少し触れましたが、小4の頃に家庭教育で実践した、映画→文章を交互に見て、文章が読めるようになりたい療育に成功し、漫画が読めるようになりました。
これを機に、ものすごいスピードで漫画本を読むようになり、知識の習得が一機に進んだんですね。
学習障害で、特に本が読めない場合、同年齢の友達よりも圧倒的な知識の差がついてしまうことを心配していましたが、とりあえず漫画が読めるようになったことで一安心。
さすがに単行本レベルの本1冊、となるとやっぱり無理みたいですが、漫画だけでも読めるようになって本当に良かったと思っています。
ちなみに、キングダム、Dr.STONEの知識はヤバイレベルです。特にキングダムはちょい役の人まですべて覚えていてものすごい記憶力を発揮しています。
ドラマ・アニメ・映画を理解できるようになったこと
小学校低学年くらいまでは、アニメやドラマなどを見ていると、次の展開がどうなるのか、今はなぜこんなことを言ったのか、といちいち聞かれていたのですが、すっかりなくなりました。
漫画が読めるようになったことで、ストーリー展開のパターンがいくつか入ってきたのでしょう。
お友達のミュージカルを見に行ったときも、映画館で映画を観ているときも、長男からの質問の嵐に、私の方が集中できなかったのですが、今では次の展開パターンを予測できるまでになりました。
ただ、本当に先読みができたり、人の気持ちがわかる、ということではなく、あくまでもパターン展開を記憶し、近い状況からちょっと先を予測しているのではないか、と私は思っています。
成功体験を積んだこと
家庭での療育、通級、療育センターでの療育、など、さまざまなことを総合して、「うまくいく」という成功体験を少しばかり積んでいます。
「みんなできることが、ぼくにはできない」
小1のときに、そんなことをふと言っていた長男でしたが、練習すればうまくなる、とか、改善すればうまくいく、ということが徐々にわかりつつあるみたいです。
大人も同じですが、ある程度の成功体験がないと、次に新しいきっかけに出会ったとき、チャレンジする勇気が持てませんからね。
でもやっぱり長男は自閉症スペクトラムだなと感じるところ
そうはいっても、根本はやはり変わりませんよ、ということをお話していきます。
中2になっても母親と普通に話しをしているところ
ちょっと心配になるくらい、中2の長男が反抗してきません。
とはいえ、、私もダメとは言わないので、そもそも反抗することがない可能性もありますが。
普通、中学くらいになったら、親と話をするのも行動するのも、嫌になるじゃないですか。うざかったり、嫌悪感だったり。
悪いことではないのかもしれませんが、今でも日々のことや嫌だったこと、楽しかったことや興味のある音楽など、さまざまなことを共有してくれています。
中学から始めたゲームはブレることなく毎日〇時間
プレステみたいながっつりとゲームをやらせたら、長男はきっとやめないだろう、という予測は簡単でしたので、どんなに周りの友達がゲームで遊んでいてもうちは買いませんでした。
さすがに中学生になったら、ある程度、自分を律していかなければいけませんしね、と思い、ゲームを解禁。
次男と2人で毎日ゲームに明け暮れていますが、毎日毎日、あきることなくブレずにやり続けること〇時間。
6時間とか、10時間とかの日もあります。
しかも、ちゃんと成長しているみたいです。
始めた当初は、人からやり方を聞かずに、自分も感覚だけでゲームをする日々を過ごしていましたが、次男がメキメキ力をつけていく姿をみて、多少マネているのでしょう。
これからの時代は、オンラインが主流ですから、ネットやガジェットとのうまい付き合い方を模索していかなければいけませんよね。
友達の茶化しを真にうけるところ
オンラインでゲームをやっていると、友達が冗談で長男を茶化しているのに、真に受けてしまっています。
「今、こんな風に言われたんだけど、意味わかんないよ。どういうこと?」と私に通訳を求めてくるんですよね。
お友達によりけりなんですが、たまに性格悪くないですか?!という茶化しに合っていることもありました。
こればかりは、たくさん茶化されて、笑われて、冗談なのか、と気づくしかない。
一応、聞かれたら私は答えていますが、オンラインだと若干、タチの悪いことも怒りますからね。
将来、大きくだまされないようにだけは、気を付けてほしいけど、できるのだろうか・・・
振り返り:【結論】自閉症スペクトラム障害は治るというより成長とともに改善はしていくのではないか
これだけ長い文章を書いておいて何なのですが、どんな特性を持っていたとしても人は成長するのだ、ということなのかもしれない。
単に成長しただけなのかもしれない。
もしかしたら、何もしなくても、成長により現状と同じようになったのかもしれない。
「おいっ!!」っと突っ込んでいただいて構いませんが、正直な私の感想です。
中学に入ってから、びっくりするように背が伸び、声変わりで低い声になり、今まで以上にモリモリ食べる長男を見ていると、幼少期に不安に思っていたことは何だったのだろう思うのですよ。
- 障碍者手帳をもらって、障碍者雇用で何とか生きていけるだろうか
- 勉強は大丈夫なのだろうか
- 進学はできるのだろうか(→受験は難しいのが現状です・・・)
- 友達とうまくやっていけるのだろうか
などなど。挙げ始めるとキリがないこれらの不安は、長男の成長とともに少しずつ減りつつあります。
もはや、
税金を納めて仕事をすることはほぼ確定していると思える、現状の長男の様子を見ていると、まるで、喋れる自閉症だった長男が、普通の子供になった、という錯覚に陥るのですよ。
今現在、まだ小さい自閉症スペクトラム障害のお子さんを子育てされている場合は、まだわからないかもしれません。それが普通。
でもでも。
今、自分にできると思って実践している療育や対応方法を続けていくことは、現状、何もしないよりも、確実に未来を変えていけるってことにつながると思うのですよ。
もちろん、どの子にも療育がすべてであって、療育さえやっていれば、将来自閉症の特性が治るかも、みたいなことはおこらないでしょう。
子供それぞれですし、特性も違いますし、その子が出会う人との相性もあるでしょうから。
何であっても、親として、「今、自分にできること」は、1つでもいいからやってみた方がいいと思います。その方が後悔がない。ここ大事だと思います。
4歳の長男を育てていたころの自分から見れば、未来にいる今の自分は、当時の自分の判断と行動は間違っていなかった、と本心から言えますし、その時々で最善だと思う選択を実行したことが、今の長男の様子につながっていることは事実ですから。
そりゃね、不安に押しつぶされそうになりますよ。
っていうか、不安しかないですよ。
未来の事なんて、まったくわからないんですから。
自分のことなら、なんとでもやりようがあるかもしれませんが、子どものこととなると、親であってもどうすることもできないことが多々でてくるんですから。
現状、まだ中2の長男が、本当に社会で仕事をしてお金を稼ぎ、無事に税金を納められる大人になれるのか、継続して人生を歩んでいけるのかは、今の私には当然ながらわかりません。
でも、わかってきたことは、親として、その時々でできることをやり続ければ、親業は〇としても良いのではないか、と思うのです。
親だって完璧な人間ではないですし、その子にとって最善の親だったかどうか、と言う話でもないわけですからね。
子供が発達障害だと、どうしても、何となく生んだ親にも何か責任を感じて、負い目を心の片隅に持ちづけてしまう気がしているんですよね。
私もずっと、なんとなく自分のせいで長男が発達障害なのかもしれない、という思いがあるんですっよ。そんなことはないと思いますよ。そもそも、母親がどうこう操作できる問題でもないですし。
どんなに優れた能力を持ち合わせていようと、大切な我が子には、なんとなくでもいいから社会でうまくやっていき、健康で幸せな人生を送ってほしい、と願うもの。
特性があっても理解してくれる人に巡り合い、あわよくば良き理解者に出会ってほしいと願うもの。
親ってそういうもんなんだなー、なんて思ったりしています。
欲張りなんですね。親って。
生まれたときは、健康でさえいてくれれば、とか思っておいて、成長するごとに、あれもこれも望んでいく。
それが「親」という生き物なんでしょうね。
ならば、そんな「親」という生き物を、堪能して楽しんで生きてみてもいいかなと、長男中2になった現在、ようやく思えるだけの余裕がでてきました。
長かったーーーーー
今まで。
いつまでこんな日々が続くんだろうと思う日々から〇年。
子育てはまだまだ続きますが、ひと段落ついたかも、と思える時期にきましたよ。
今現時点で、マジ勘弁と思って子育てに奮闘しているママさん、パパさん。
自閉症スペクトラム障害の子供の理解が難しいと感じているママさん、パパさん。
今の時間も、過ぎ去っていくひと時であること。子供は必ず成長していくことを、少し先の未来にいる私がお伝えしたいと思います。
子育ては大変です。自閉症スペクトラム障害の子育ては、理解されにくいし、育てにくいと思います。
かわいいと思えなくてもいい。
大変すぎてよくわからない子育てでもいい。
目の前にいる子供のすべてを受け入れてあげてくださいね。
今はうまく対応できなくても、時間がたてばできるようになりますから。
子供が成長すれば、解決することもありますから^^