読み書き計算に特定の苦手さがある学習障害。本人の努力不足と言われてしまうことが多く、親も先生も気づかずに子供が苦しんでいる場合があります。
学校生活は読み書き計算が生活のほとんどを占めるので、学習障害の特性があるということは、長い学校生活に困りごとが多くなってしまうということ。
今回は、学習障害の理解されにくい部分と学校生活で起こり得る困りごとについて、どんなものがあるのかを考えてみました。
学習障害のお子さんがいる方、学習障害だと学校生活にどんな困りごとがあるのかを知りたい方の参考になればうれしいです。
学習障害の子供が理解されにくい理由|学校生活での困難な部分
学習障害は見た目でわかるものではありません。読み書き計算に苦手さがあっても、他の子と変わらないように見えているので、学校生活でもとてもわかりにくいと思います。
読み書き計算が問題なくできてしまう人にとっては、理解しがたい世界でもあるのではないでしょうか。
実際に学校生活の中で学習障害の子供が困難を感じる部分の例を挙げてみましょう。
読める・書けることが前提の固定観念になっている
例えば、0歳の子供が絵本の文字を読まなくても、そもそもできるとは思っていませんが、幼稚園児くらいの子供は、教えれば当たり前のように読めて書けることが望まれます。
上の子がいたり、文字や数字に興味があって幼少期から読めて書ける子が周りにいると、親はどうしても自分の子供と比べてしまうんですね。
兄弟が何の問題もなく読めて書ける子であれば、子供はみんな読めて書けるということに疑いを持ちません。
親も先生もクラスの友達も、教科書は読めて、鉛筆で字は書ける、ことが当たり前だと思っていますので、同年代の子供よりも読めずに書けないと、「できない」という枠に入ってしまいます。
当たり前の宿題が学習障害の子供をさらに追い詰める
毎日の音読や漢字ドリル、計算ドリルの宿題が、学習障害の子供を着々と追いつめていきます。
親や先生は、読めて書けることが当たり前だと思っていますので、できることを前提に子供を見ますし、話を進めていきます。
家に帰って宿題をやろうとしても、うまく読めない、うまく書けないことで、親に指摘をされるんですね。
そこで、読むこと、書くことが難しいのか?まだ発達が追い付いていないのか?など子供の読字と書字の能力に疑問を持てば学習障害に気づけるかもしれませんが、「そんなはずはない」という思いが先にきてしまうので、まずはクラスのみんなと同じ方法でやらせてしまいます。
こうすればいい、ああすればいいとアドバイスをしてもうまくいかない子供は、どんどん宿題に追いつめられてしまいます。
子供自身が自分は友達と違うと気づいていくが大人が信じようとしない
「僕が教科書を読むと、みんなが笑うんだ。みんなは読めるけど、僕は読めないんだ」長男が小1の頃、2学期あたりだったと思いますが、突然長男が私に話してきました。
当時、絵本を全く読まない長男に、もしかしたら読めないのかも?という疑問を持っていた私でも、まだ読めない長男の現実を受け入れることはできませんでした。
「読めない」ということがどういうことなのか、読字に全く問題がない私には意味がわかりませんでした。
家で一緒に読んでみても、字は読めるので1字ずつたどたどしく読む長男に、読み方指導をしていたくらいです。
区切りの斜め線を引いて、言葉や文章表現の意味を教え、その辺りのことがわかれば、普通に読める、きっと発達障害だから、発達が遅れているのかも、くらいに考えていたので、いつか追いつくだろう、読めるようになる日がくるのだろうと心のどこかで思っていたのです。
学習障害であることに親も先生も本人も誰も気づかない
周りの友達ができて自分だけができないと、「できない自分」を認識するようになっていきます。
親も先生も学習障害を疑わず、そのうちできると思っているうちは、子供もできない理由がわかりませんので、自分はできない子なんだと思い込んでしまうんですね。
そうじゃないのですが、この時点では、子供に通訳をする人がいない。子供の学習障害に気づく人がいない。ここが学習障害の子供が困難さを1人で抱え込んでいく原因の1つです。
ピアティーチャーやスクールカウンセラー、特別支援教室の先生方が子供を一人ずつチェックするわけではありませんので、ある程度の問題にならないと気づかないんですね。
理解されない日々が続くと二次障害や不登校などの望まれない行動に変わっていく
こうやって、子供が宿題を嫌がるようになり、それでもなんとかやらせようと親が怒り、宿題をやっていかないと先生が怒り、子供は学校と勉強がイヤになっていく。
理解されずに積もり積もった子供の不満は、代替行動としてよくない行動にすり替わり、親や先生、大人に対して不信感を持っていくという悪循環が始まるのでしょう。
さらには、よくない行動だけを見て怒る先生を見たクラスメイトが、よくない行動を取る子供を責め、対抗するためにやり返した行動をさらに責められ、問題になっていく。二次障害になっていき、不登校になっていくきっかけにもなりかねない。
だから、早めに気づく事(医師の診断)と周りの配慮や対応、療育などが必要になってくるのですね。
学習障害の子供が学校生活で起こり得る困難さ
私が思いつく学習障害だと怒り得る困難さをいくつか挙げてみました。
読字障害の場合
- 教科書が読めない・読めても理解できない
- プリントが読めない・理解できない
- テスト問題が読めない・理解できない
- 本が読めないので知識が増えない
- 友達と本や漫画の情報共有ができない
- 係りや委員会やクラブ活動への影響
- 作文、発表などへの影響
- 学芸会の台本が読めない
- 音楽の歌や音符が覚えられない
書字障害の場合
- 板書ができない・ノートが書けない
- テストの答えが書けない
- みんなで書く共同作業ができない
- 宿題が書けない
- 筆算の桁が合わない
- 書いた字が読めない
算数障害の場合
- 計算ができない
- 順番がわからない
- 数字の話についていけない
- 図形が理解できない
- 九九が覚えられない
学習障害を含めた発達障害は、人それぞれ、困りごとが違うので、実際はもっとたくさんの例があると思います。
ここに挙げた例は、学習障害である長男が実際に困ったことや、他の子供を見て私が感じたことを挙げていますので、参考程度で考えてくださいね。
クラスメイトの悪気ない言葉に傷つく学習障害の子供
- どうして読めないの?
- なんで書けないの?
- まだ九九覚えてないの?
友達の言葉は、時として親や先生に言われるよりも子供の心に刺さります。
特に小学校低学年のうちは、自分と違う人がいることに気づいていく時期でもありますので、自分と人との違うところに気づいていくんですね。
そして、「どうして?」と思うわけです。私はできるのに、なんであなたはできないの?
そう思うことは何ら悪くないですし、普通の発達であり反応でしょう。
しかし、自分だけできないかもしれないと薄々気づいている学習障害の子供は、その劣等感からさらに傷ついてしまうんですね。
誰も悪くないので、子供のやるせない思いの行き場もなく、結局、学習障害の子供自身が傷ついてしまう現状。こればかりは避けられない現状です。
学習障害かもしれないと疑うなら診断ではっきりさせればよい
教科書があって、テストがあって、入試があって。と読んで書いて計算することで評価をされてしまうという時代は学生時代だけです。
特に社会人になるまでの子供時代の全ては学校生活と共にあるわけですから、学校時代に受ける影響は多大です。
だからこそ、「自分は読めない・書けない・計算できない」と思い込んで自己肯定感を下げる前に、本当に読み書きが極端に苦手なのかどうか、確認した方がいいと思います。
学習障害だとわかれば対応できることもあるし、代替手段を使えます。いろんな対策が可能になってくるので、できないことよりもできることが増えていきます。
この2つは意味が大きく違います。
後者である、やり方がわかっても根本的な体のしくみや脳のしくみでうまくいかないことはあると思うので、無理に周りと同じにしなくていいと思うのです。
学習障害かもしれないと思った親にできる3つのこと
- 子供が学習障害かもしれないという覚悟をするして診断する
- 親にできる配慮を考える
- 担任にできる配慮を提案する
学習障害であることは、周りの目からも見つけにくいです。
しかし、学習障害だからといって、死んでしまうわけではありません。脳機能の特性の1つです。
学習障害かもしれないと思っているなら、早めに診断を受けにいきましょう。
学生時代に学習障害をいかに認識し、子供が自分のことを理解できるのかが、子供の人生の大きなカギになります。
今日の振り返り|学校時代に学習障害との付き合い方を学ぶ
学習障害と学校生活について長男の例を参考に、どんな困りごとがあるのかを考えてみました。
- 学校の理解と配慮があること
- それがないと学校生活は苦痛になってしまうこと
親も、気分的に落ち込んで、迷宮のように答えが見つからない時期は、子供のことがとても不安で将来のことばかり考えてしまいます。
子どもの将来が不安で不安で、でも今何をしたらいいのかわからない、周りに頼る人もいなければ、話せるママ友もいない。
やればできる、というかっこいい言葉は、時として子供自身の特性も否定してしまうこともあるということを覚えておきましょう。
特に体育会系の人や先生は、根性論で何とかしようとしますが、子どもをどんどん追いつめて逃げ場をなくしてしまうだけになってしまうということを忘れないでほしいです。
コメント