アスペルガー障害やADHDの子供は他人の気持ちがわからない、場の空気が読めないことでさまざまな困りごとが起きてしまいます。
当然、発達障害である当人が悪いわけではなく、育て方などを含め親が悪いわけでもありません。
同じ社会で生きる人間同士、いろんな特性を持っている人がいるということをお互いに理解していくことが最善の解決法だと思っています。
今回は、他人の気持ちがわからなくてトラブルが多い、場の空気が読めなくて困っている、そんなお子さんと接している方へ、空気が読めない発達障害の子供に教えてあげられるコミュニケーションの基本をご紹介します。
空気が読めないとどんな困りごとが起きるのか、空気を読むということでその後の子供の人生にどんなメリットがあるのか、などを含め、コミュニケーションの教え方を伝授していきたいと思います。
空気を読めないのか?読まないのか?空気が読めないと起こる困りごととは?
他人の気持ちがわからなかったり、場の空気が読めなかったりすると、何にどう困るのでしょう?
何となくはわかると思うのですが、具体的にどう、と言われると説明しづらいですよね。
発達障害の子供は本当に空気が読めないの?それとも読まないの?
一般的に発達障害では空気が読めないということになっています。一概に「発達障害だから→空気が読めない」と決めてしまうのは語弊があるでしょう。
しかし結果として空気が読めないと思われてしまうことで、当人も困りますし、周りで接する人も困る。両方が困ってしまうわけです。
発達障害の脳機能の問題が空気を読めなくしている?!
発達障害の脳の研究はさまざまなものがありますが、脳内のネットワークがうまく連携しないことで、相手の表情や行動、今置かれている状況(TPO)などの情報を統合して判断することが難しいと言われています。
参考:自閉スペクトラム症の子どもの特性/すまいるナビゲーター子どもの自閉スペクトラム症
参考:【図表でわかる!】発達障害 × 支援の心得~多様性を理解する~ | 「アスペルガーは空気が読めない」はウソ?/TEENS_発達障害のある小中高生向け 放課後等デイサービス
脳の連携を取ることが難しいことが一番わかりやすく解説されているのが、ぼくはアスペルガーなお医者さん 「発達障害」を改善した3つの方法(畠山 昌樹氏著)という本。
健常者とアスペルガー障害の脳の使い方をMRIで調べた結果が、非常にわかりやすくイラストで説明されています。これなら、空気も読めないかもな、と思えます。
要するに脳内の機能を統合する機能がうまく働かないために、できることと、できないことの振り幅が大きくなってしまうんですね。
ちなみに、空気が読め過ぎるタイプも発達障害の中にはあるようです。
発達障害だから空気が読めない、というわけではなく、その後の言動や行動との連携がうまくいかないために、結果として「空気が読めない人」に見えてしまうのかな、というのが今のところの私の理解です。
空気が読めない発達障害の子供に起こる困りごと
空気が読めないことで発達障害の子供に起こる困りごとにはどんなタイプのものがあるのでしょう。
相手が傷つく一言を躊躇なく発言する
例えば、
- 泣いている友達に「今日遊べる?」と聞いてしまう
- 担任がクラス全員に怒っているのに地雷を踏む一言を言う(早く帰りてー的な)
- 友達の持ち物や服を笑って否定(全然似合わないねー♪その服みたいな)
置かれているTPOに合わせての発言、相手に合わせての発言、これが適した発言や行動になっていないと「空気が読めない」と言われますよね。
正直、例を挙げたらキリがないのですが、相手が傷つく一言を躊躇なく発言することで、相手は傷つき、子供本人は本当のことなのに何が悪いわけ?となって困ってしまうんですね。
特に、発達障害の脳では理解が難しい他人理解についても、「相手が傷つくでしょ」「友達の立場になって考えて」と怒られるのは発達障害の子供の方。
わからないことを責められる
たぶんこれが発達障害の子供を二次障害に追いつめる原因だと私は思っています。
他人と行動を合わせない・他人の行動がわからない
例えば、
- 一緒にご飯を食べに行って先に食べ終わったASD当人が「先に帰ってるから」と帰ってしまう
- 公園で遊ぶと待ち合わせをしたはずなのに誰も来ない
数々のすれ違いから起きてしまう困りごとではありますが、周りが「えー・・・・そんな」と思う行動や、「いや、そういうことじゃなくて、・・・」ということは多々発生します。
相手の言葉を言葉通りに受けとめてしまうことで起こるすれ違い、または自分の思っていることをそのまま口に出してしまうことで、ドン引きされる結果になるのでしょう。
間に通訳の役割をしてくれる友達がいれば、丸く収まることなのですが、コミュニケーションがストレートな子供同士では難しく、大人になると面倒だと思われやっぱり難しくなる項目だと思います。
他にも例はたくさんあると思いますがひとまず次の項目に移ります。
人はなぜ空気が読めた方がいいの?【花緒論】
ではなぜ、人は空気を読めることを必要としているのでしょうか?花緒流の解釈になりますが、発達障害の子供が空気を読めた方がその後の人生のメリットが多いと思っている理由をおはなしします。
「同じ」を共有することで安心(安全)につながるのではないか
集団で生き延びてきた人間社会の中で、「同じ」を共有するということは、一種の安心や安全を共有することと同じなのではないか、という考え方です。
周りの人を見て、自分も同じ行動を取っていればとりあえず「大丈夫だな」という安心感を感じたことはありませんか?
現代ではあまり考えにくい話ですが、昔は1人だけが違う行動をした結果、一緒に生きている人々にまで危険が及ぶ可能性があったことは確かでしょう。
サバイバル的な行動を取れる人には、危険がある反面、新たな開拓や発見につながることもありますので、悪いことばかりではないと思います。
ADHDの脳を持つ先祖は、そうやって新たな分野に挑んでいく勇気を持った人達だと(狩猟民族の末裔である説)何かの本で読みました。
逆に、今生きている人同士、同じ行動を取っていれば「お互いに死んでない=安全だ」という認識になり、安心につながるのかなと考えました。
1つの考え方として、空気が読めることで、一緒にいる人達と同じ行動を取り、同じような感情を共有できることでお互いに安心して生きていけるのかな、と思っています。
信頼してもいい仲間なのかを判断する材料になる
先程の考え方の続きですが、同じ仲間が勝手に単独行動をすることで自分達にも危険が及んではいけないので、空気を読み合って仲間であるという意識を持とうとしているのかな、と思っています。
空気が読めないと仲間じゃないの?ということではないのですが、通訳が必要になってしまうようでは、やはり危険な目に遭う確率が上がってしまうのでしょうか?あまり歓迎されないことは確かです。
実際、発達障害の特性を理解できないと、発達障害の子供達の言動や行動は理解できないでしょう。
本当は、発達障害の子供達の特性を1つのスキルとして仲間の総合スキルにした方が、チームとしては有利になると思うのですが、何分、子供同士では通訳の仕方や理解し合えるコミュニケーションの取り方が双方でわからない、ということになっている気がします。
「空気読めよ」と軽く愚痴る子供こそ、発達障害の子供の空気を読めよ、と思うのですが、現状、今の時代はまだまだ難しいのかもしれませんね。
空気を読むことで居場所ができる
空気が読めないことの最大のデメリットは、特性ゆえの言動や行動がクラスの友達や先生、親や家族に理解されないことで本人の居場所がなくなってしまうことです。
人間、誰しも安全・安心に暮らせる自分の居場所が必要です。
家の外に一歩出れば、危険と隣り合わせの社会の中で、どうやって自分の居場所をつくるのか、安心で安全な場所はどこなのか、これをはっきりさせることで発達障害の人は生きやすくなります。
空気が読めない発達障害の子供達も、空気を読むというスキルを1部でも身に付けることで、学生時代の居場所が出来ます。
もちろん、一匹オオカミで過ごす方がラク、というなら必要ありませんが、やっぱり友達と仲良くしたいという切ない憧れは発達障害の子供も本心では持っていると思うのです。
うまく友達と関われないから、半ばあきらめて1人の方がラク、と割り切ることも大切ですが、誰かが通訳して発達障害の子供にスキルを付けてあげられるなら、本人が望むならサポートしていきたいですよね。
生まれつきのスペックとして備わっていなくても、追加できるスキルとしてダウンロードできるなら、空気が読めることのメリットはあると思います。
発達障害の子供が今すぐできるコミュニケーションの3つの基本
実践編として、発達障害の子供を持つ親や接する大人の方が、子供にコミュニケーションの基本を教える方法をご紹介します。
あくまでも花緒流ですので、参考にしていただき、お子さんに合わせてある程度カスタマイズしてくださいね。
友達と一緒にいる時は友達の行動に合わせる
友達と一緒に遊びに行く、友達と一緒に出かける、学校でのグループ行動や行事参加など、人と行動する時は相手の行動に合わせてみましょう。
ポイントは次の2つ。
- 一緒に行ったら一緒に帰ってくる
- 生理的にどうしても受け付けないもの以外は同じ行動を取ってみる
そうは言っても感覚過敏があって難しいとか、飽きてしまって付き合いきれないとか、子供の特性により問題になりそうなこともあるでしょう。
おそらく、子供本来の特性のままであれば、興味関心がない限り人と同じ行動はしないでしょう。もちろん、それも1つの選択肢です。
どうしても無理なものを無理やり人に合わせた方がいい、と言っているわけではありません。
そうやって、新たな概念や知識、発想や経験値が積まれていくメリットもありますので、人に合わせることがデメリットになるということではないんですね。
どうしてももう耐えられない、無理、と思ったら例外である次のパターンを使います。
- トイレに行く
- 緊急事態の呼び出し
- アルバイトなどの仕事
- 当事者の体調不良
この4パターンであれば、大抵の場合は抜けられます。覚えておくといいですね。
合せて「嘘も方便」ということを教えておきましょう。
本当の事を言うよりもまず、本人のメンタルを守るための秘策です。
※緊急事態の呼び出しは、誰かを死なせてしまわないように注意しましょう。先週もおばあちゃんが危篤だったのに、今週もおばあちゃんが危篤だとつじつまが合わなくなりますからね。
あくまでも、1つのコミュニケーションスキルであることを忘れないようにしてくださいね。
食べるものは友達と分け合う
生きることは「食べること」。食べ物はダイレクトに人間の生死に関わっています。
だからこそ、食べるものは1人で食べるのではなく、仲間で分け合った方がいい。分け合うことで1人分の量は少なくなりますが、命を分け合うことで仲間意識は強まります。
大げさかもしれませんが、子供同士のコミュニティでもお菓子を交換したり、分け合ったりする姿はよく見かけますよね。
遠足でお弁当をひっくり返してしまったら、すかさず半分こにして分けてあげられる子と、かたくなに自分のお弁当をあげない子に分かれるでしょう。
発達障害の子供は、相手の気持ちを察することが難しいので、お弁当を落としてしまった友達がどんな気持ちなのかを想像することができません。
ですので、隣に座っている友達が弁当をひっくり返してしまって泣いていても、発達障害の子供は自分が食べているお弁当に集中していて、気にも止めずに食べ続けるでしょう。
だからこそ、食べるものは分けるもの、と教えておくことで普段からお菓子などをシェアするように教えておいた方が後の人生、役に立つと思います。
自分が持っている道具(スキルを含めた)は友達と共有する
食べ物を含めた、自分が持っている道具やスキルは、友達と共有していきましょう。明らかに発達障害の子供の居場所になるのは、スキルの部分。
計算が早い、詳しい知識を持っている、足が速いなど特別に秀でている部分があれば、人間関係においてわかりやすい感じで重宝されますが、発達障害の子供は言葉でうまく自分の思いを表現することは難しいので、友達に自分のスキルを伝えられないでしょう。
ですので、自分の持っている持ち物を共有して貸すことに始まり、発達障害の子供が得意なことは無償でやってあげる。
「見返り」を求めないところがポイントで、自分が役に立つ場面や場所、助けてあげられる人がいることで、自分の存在意義がわかってきます。
発達障害の子供は、ともすれば誤解やすれ違いのコミュニケーションが原因で、自己肯定感が下がり二次障害にも陥りやすいと言われています。
自分が安心できる人間関係を含めた居場所があることで、子供本来の特性を受け止めることができるようになるでしょう。
知っていることは「知っている」と自身を持って友達に伝える
「外で元気に遊ぶこと」が優先な子供たち。発達障害の子供は、生まれつき自分が持っている便利なアイテムやグッズ、さらに自分の得意なスキルにすら気づいていないかもしれません。
自分の強みは何か、できないことは何か、自分にできるところはどこまでか、などを書いてみたりして、わかっておいた方がいいでしょう。
気を付けておきたい4つのポイント
道具を共有するといっても、あれもこれも共有することは難しいですよね。
物を共有する時に気を付けておきたいポイントは次の4つです。
- 物を借りたら必ず返すこと(状態にも十分に気を付ける)
- お金は絶対に貸さないし借りない
- 下着類は共有せず新品を使う
- 貸せないもののルールを決めておく
お金は友達間での貸し借りは極力やめた方がいいでしょう。どうしてもルーズになりがちな子供であれば、親が管理してもいいと思います。
振り返り|空気が読めることで発達障害の子供にもメリットが増える
本当に空気が読めなくても、ある程度の法則性を持たせればなんとなくは覚えられます。スキルとして発達障害の子供に身に付けることで、家以外のコミュニティで自分の居場所を持つことができます。
発達障害の長男も、何度も地雷を踏みつつ友達に突っ込まれつつ、「長男と言ったら=クワガタ・計算が早い・記憶力がいい・いつも明るい」などの立ち位置を持っています。
「名探偵コナンが好き」「今期のドラマの話ができる」「漫画やアニメに詳しい」という立ち位置も持っています。
複数の立ち位置を持つ事で、少々地雷を踏む言動をしても、バカなの?!と突っ込まれる行動をしてしまっても、長男の居場所は学校内にありますし、各立ち位置のコミュニティに所属できていると感じます。
全く空気が読めずに大変な思いもたくさん経験した長男ですが、小学4年の3学期、ついに「クラスの空気感」を感じることに成功。
以来、「僕は空気が読めるんだ」と自信をつけたようです。
なんとなく、友達の様子から判断して「掃除サボったらヤバイな」とか、「明日学校を休んだらグループに迷惑がかかるな」ということを察する程度ではありますが、長男にとっては大きな大きな一歩でした。
「空気が読めない」なりにできることに意識を向けることで、発達障害の脳に情報が集まり、「空気を読む」というタグで引っ張られてきたとき、数々のデータの集合体は「空気が読める」かもしれないきっかけになるかもしれません。
発達障害は空気が読めない、アスペルガー障害は空気が読めない、ADHDは人の気持ちがわからない、そんな基本スペックも、発達の年数と共にデータが更新され、察することはできるようになると思っています。
脳は本心から求めていることに答えようと進化をしている気がするのは、私だけではないでしょう。
そんな風に考えると、あきらめずに今できることを1つでも丁寧に子供に教えてあげることが、親や発達障害の子供と接する大人の役目だと私は思っています。
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