不登校は悪いことなの?物事の本質に気づいている子供たち

不登校

次男の不登校をきっかけに、不登校についていろんなことを考えてきました。何を考えても、どうしても不登校は「悪いこと」のイメージがぬぐえないことが納得いきませんでした。

不登校は悪いことではない。いろんなサイトやいろんな方々のブログで多くの意見が載っています。私も不登校は悪いことではない、と思います。

しかし、「ではなぜ不登校は悪いことではないと言えるのか?」その問いに論理的に答えられない自分がいましたが、ようやく論理的につじつまが合う方向に考えることができたので、おはなししていきたいと思います。

子供の不登校に悩んでいる方、自分が不登校で悩んでいる方、生徒が不登校で悩んでいる先生など、不登校で悩んでいる方の参考になればうれしいです。

不登校について、明るい方向性まで論理的におはなししていくには、とても時間がかかります。1つずつ順番におはなししていく予定です。

あくまでも、不登校の子供を抱える親として、1人の人間が考えただけの理屈です。こんな考えの人が地球上に1人いるんだな、というだけのことですので、私の考えが正しいわけではありません。

その辺りを踏まえた上でお読みいただけましたらうれしいです。

不登校は悪いことなのか?イメージがつくる不登校の子供像

膝の上でこぶしを握る女性

次男が不登校になった時、私は覚悟を決めました。どんな覚悟かと言いますと、私や次男と関わる全ての人から、非難の目で見られること、そして批判されること、人と違う人生を歩む次男であるということ、これらを覚悟しました。

今申し上げました覚悟の全ては、マイナスイメージばかりですね。覚悟を決めた時、私はこれらのマイナスイメージを論理的に導き出したわけではなく、直感的にこうなるな、と判断し覚悟を決めたわけです。

そして、次男にも覚悟を決めさせました。これから次男が見られるイメージ、つまり学校に行かないということは、関わる人全ての人に説明を求められるかもしれないよ、と。逃げずに全部を説明して生きていくよ、と。

なぜなら、不登校になるということは、悪いことではない。私はそう思っていますし、次男の心が発したサインに、親として真正面から向き合うつもりでいましたので、周りにも堂々と宣言し、対応しようとしていたからです。

ではなぜ、不登校であることは、マイナスのイメージばかりが浮かんでくるのでしょう?まるで不登校であることが「悪いこと」のように見えますが、不登校は本当に「悪いこと」なのでしょうか?

まずは「不登校」というイメージから考えてみて、不登校=悪いことになっていないかを考えてみます。

不登校は子供のせい?甘え・怠けのイメージから不登校は悪いことになっている?

不登校になるということは、子供が甘えている、怠けている、というイメージが不登校にマイナスイメージを与えているのではないでしょうか?

本人が訴えている不登校の理由と他人が判断する甘え・怠けから生まれる認識の差

まず、不登校になった理由を子供が訴えたとしましょう。訴えられた大人が、そんな甘い考えじゃ、この先、生きていけない、と判断した場合、不登校=甘えという図式が成り立ちます。

同じように、不登校になった理由を訴えた子供を、大人が怠けているからだ、と判断した場合、不登校=怠けという図式が成り立ちますね。

不登校になった理由を訴えた子供の気持ちと現実≠訴えられた大人の認識→認識の差が生まれる

不登校になった理由を正しく認識できない大人

子供が不登校になった理由を大人に訴えたにもかかわらず、訴えられた大人は子供の理由を正確に認識していない、ということですね。

ではなぜ、正確に認識できないのでしょう?

おそらくですが、訴えられた大人(親・先生など)には固定観念があり、子供は学校に行くことが善であると思っているのではないでしょうか。

学校の先生が不登校になった理由を受け入れられない理由

学校の先生は、学校に来ることが前提で物を考えていますので、不登校になるということは学校がイヤ、つまり学校を否定されたことになりますね。

学校全体を否定されているような気がするので、学校で働く先生も否定されている。学校にいる先生や生徒も否定されている気がするから、受け入れられないのではないか?と私は考えました。

親が不登校になった理由を受け入れられない理由

親も、子供を学校に行かせることは親の義務と言われているわけですから、不登校になると親の義務を果たしていない、つまり親としての能力を否定されているような気になり、受け入れられないのかな、と考えます。

不登校は親のせい?学校のせい?環境が悪いと不登校になるの?

では次に、親や学校のせいで子供が不登校になるかを考えてみましょう。

親のせいで不登校になっていると考えたい学校と社会

子供が不登校になるのは、家庭の環境が悪いとか、親の放任が悪いとか、親の過干渉が悪いとか、そういうはなしをインターネットで読んだことがあります。

でも、家庭の環境が悪くても、親が毒親でも、不登校にならない子もいます。もちろん、家庭環境が悪くて不登校になる子もいるのかもしれませんが、親のせいで不登校になっているのか?と考えた時、誰もが納得することではない、と思うのです。

学校のせいで不登校になっていると考えたい親と社会

同じように、学校のせいで子供が不登校になっている、先生のせいで、クラスの友達のせいで、子供が不登校になっている、というはなしもあるでしょう。

現実として、いじめを理由に不登校になり、先生たちも気づいてか見ぬふりか、責任のなすりつけ合いをしているところをテレビで見たことがあります。

確かに、学校ではいじめがなくならないし、先生の対応で問題がある場合もあるでしょう。ゼロとは言えないとは思います。

ただ、いじめられても先生に恵まれなくても、私は不登校になりませんでした。不登校になることで、問題が解決するとは思えなかったからです。

問題は他にあり、本質は学校ではない。子供ながらにして私はそのことがわかっていたので、不登校にはなりませんでした。

だとしたら、不登校になるのは学校のせいだとも言えなくなりますね。

結局子供の不登校を誰かのせいにしたい大人たち

結局、親も学校も社会も、子供の不登校を誰かのせいにしたいのです。自分のせいじゃない、何かのせいで子供が不登校になっているんだ、と責任を押し付けたいのですね。

自分は悪くないと思いたいから責める対象が欲しいだけなのではないか

誰かのせいにして逃げたとしても、子供の不登校は解決しません。なぜなら、子供の不登校に向き合っていないから。責任転嫁の先を見つけて押し付けようとしているからですね。

それが大人かな、と子供の頃から思っていました。だから大人は嫌いだとも思っていました。

【結論】大人は子供が不登校になった理由よりも自分の立場を守りたい

否定されている気がすると、そんなことはない!と反抗したくなるもの。だって自分のやっていることは正しいと思っていますし、正しいと思いたいですからね。人から否定されるといい気がしません。

自分の立ち位置も守りたいのでしょう。だから、子供の訴えている内容よりも、否定されている方を優先し、子供の訴えを正しく認識できず、子供と大人の認識の差を生み出してしまうのかな、と結論づけました。

だから「甘え」とか「怠け」という個人の価値観を上塗りして、不登校を隠そうとするのでしょう。

【子供の本音】大人の価値基準で判決を出してほしいと頼んだ覚えはない

不登校の理由を訴えた子供は、大人に判決を出してほしいとは頼んでいないと思うのです。自分が感じた思いや感情、体の痛みなどを訴えただけ。または聞かれたから答えただけ。

こうして、子供の大人の間に認識の差が生まれていくのかな、と考えました。

不登校になった子供vs復学させようとする親と学校

窓から顔を出す女性

不登校になった子供との間を埋めないまま、次に大人がやることを考えてみました。

不登校になった理由に目を向けず学校に復学させようとする親と学校

結局、不登校になった理由に向き合わず、

  • どうすれば学校に来られるようになるのか
  • どうすれば子供が学校に行くのか

そこに焦点を当てて親と先生が話し合います。

  • 給食だけなら参加できるのではないか
  • 保健室登校なら学校に行けるのではないか
  • 体育の授業だけなら
  • 特別支援学級だけなら

親も学校も、早く子供を復学させたい。

その思いは大人の思いなのですが、親も学校の先生も「自分達の思い」であることに気づかないことが多い気がします。

不登校になったのは子供。

大人じゃないのですが、なぜか大人がなんとしても学校に戻そうとしている気がします。

なぜなら、不登校になったのは親や学校のせいだと思われたくないから。不登校の子供がいるということは、親や学校が悪いと社会から思われているのではないかという妄想に駆られているからでしょう。

不登校になった理由を大人に理解させられず不良・引きこもりになる子供

不登校になった理由を親や先生に訴えてみたところで、大人の判決を下されるだけなので話せなくなってしまう子供。

子供ですから、うまく喋れないんですよね。自分が感じていることや考えていることを、親や先生がわかるように、納得するように話すことは難しい。

大人だって自分の思いを人に伝えることは難しいですから、子供ならなおさら難しいと思います。

まして、経験が浅い子供にとって、相手が納得するように話すことは、大人が思っている以上に難しいことでしょうね。

でも大人は容赦なく聞いてきます。

  • どうして学校に行かないの?
  • いじめられているの?
  • 学校に行かない理由は何なの?

理由がはっきりわかっていたとしても、〇〇ちゃんにいじめられているの、とでも言おうもんなら、親がカッとなって友達の親に文句を言うかもしれない、先生に怒鳴りこむかもしれない、そんなことになったら、絶対に学校になんて行けない。

と、大人の行動が読めてしまう場合、子供は話さないでしょう。さらに、話すことで親が心配するようなことであれば、尚のこと言えなくなる場合もあります。

子供の気持ちの行き場がなくなって、世間的には良くない行動に出たり、反抗してみたり、暴力で訴えてみたり。逆に貝のように口を閉じ、部屋に鍵をかけて引きこもりになってみたり。

出力方法が違うな、と思うのですが、この方法しか知らない、思いつかない子供も多くいると思います。

双方で歩み寄る気がない不登校を取り巻く人たち

大人も子供も、お互いに自分の思いをわかってもらえない複雑な気持ちのまま、お互いに自分の感情をぶつけるだけになってしまう。

そうなると、もうどちらも歩み寄る気がなくなってしまうのでしょう。共存しようとしなくなるといいますか、大人は復学を諦め、子供も大人に理解してもらうことを諦める。

きっと、お互いに分かり合える方法はあるのでしょうが、そんなにうまくはいかないのでしょう。

物事の本質に気づいた子供たちが不登校で訴えたいこととは?

さて、ここで、子供が不登校になった理由を3つ、おはなししたいと思います。

あくまでも私の憶測なので、みんながみんなに当てはまるはなしではないと思いますが、同じような子供もいると思います。

不登校になることで自分の命を守ろうとしているのではないかという仮説

不登校になるということは、何かしら子供のなかでうまくいっていないことがあるのだと思います。それは、親も先生も気づいていることでしょう。

問題は、うまくいっていないことの原因を探るより前に、このまま学校に行くと自分は死んでしまうかもしれない、子供がそう感じているのではないか、ということです。

学校に行き続けることで死んでしまうかもしれないと感じている可能性

このまま学校に行き続けると、もしかしたら命の危険があるかもしれない。理由を説明できないけれど、そんな気がして恐怖を感じるから、学校には行きたくない。

学校に行くことを考えると、頭痛がしてお腹が痛くなって、布団から起き上がれなくて、起きると吐き気がして、学校までの道のりを進めなくなる。

命の危機を回避するために不登校になっているのではないか、と考えられると思うのです。

次男が学校の玄関前で止まってしまう姿を見て、かなりのストレスを感じているんだな、そんなことを思いました。

何を大げさな、と考えるかもしれませんが、不安や恐怖、学校で感じるストレスが寿命を縮めてしまうことは大人の方ならご存知でしょう。

本能的に自分の命を守っているかもしれない、その行動の1つが不登校という形で出ているのでは?という考えは、こちらの本でも書かれていました。

自分の考えと学校生活での何かに納得がいかないのではないかという仮説

いろんな考えの人が集まっている学校ですから、いろんな価値観があって当たり前なのですが、そこは子供。知らないしわからないから、納得がいかないということもあるでしょう。

  • 先生の言っていることに納得がいかない。先生に聞いてみたけれど、先生が正しいと言われた。なぜ?という問いに納得のいく答えが返ってこなくて、先生に不信感を持ち始めた。
  • 友達が自分をいじめの標的にしてくるが、何でいじめられないといけないのか納得がいかない
  • 先生も友達も、大人の前、親の前ではいい格好をするが、裏では悪口ばかり言っている

たくさんの納得がいかない、ということに対して、理不尽な対応しかなく、何も解決しないのであれば、納得がいかないことは子供にとってストレスに変わっていくでしょう。

何で?どうして?に対して当たり障りのない答えしか持たない人、見て見ぬふりをする人、自分の意見が絶対の人、面倒だからと向き合わない人、適当にスルーする人、そもそも問題意識を持たない人、会話が通じない人。

いろんな人がいるのですが、子供同士はうまく話せませんし、大人にもうまく伝えられないことがあるでしょうね。

納得がいかないオンパレードがストレスに変わった時、ずっと続くストレスに疲れて、ストレス回避のために不登校になることも考えられるかな、と思います。

学校に行くこと・勉強をすることの意味がわからなくなって不登校になるのではという仮説

  • どうして学校に行くの?
  • なんで勉強しなければいけないの?

子供のこのような問いに、子供が納得するように答えられる大人は少ないのではないでしょうか。

なぜなら、子供は1人で生計を立てたことがない子供であるため、学校に行くことの意味も、勉強することの必要性も、現段階ではわからないでしょう。未経験ですからね。

でもなんで?と聞くと、大人が答えるわけです。将来のため、子供のため、1人で働いて稼げるようになるため、と答えるんですね。

進学するために、立派な大人になるために、生きていくために、食べていくために、就職するために。

じゃあ、進学して、立派な大人にならないと生きていけないの?となるわけですが、別に生きていけないわけではないわけです。

周りの大人が幸せそうに見えない現代

さらに言えば、学校を卒業した目に見えている大人たちが、楽しそうに幸せそうに生きていないわけです。

学校に行って勉強すれば、いい学校に進学して、いい会社に就職して、幸せに生きられる。本当にそうなら、親を含めた子供に見えている大人の大半は、幸せになっているはず。

でも、どうみても違う気がする。下向いているし、文句ばっかり言っているし、悪口もよく聞くし、すぐ怒るし、お金がないって言ってるし、見るからに楽しそうに幸せそうに生きていない気がする。

子供の目にはそんな風に写っているかもしれません。

現実と大人の言っていることに矛盾を感じる子供

だとしたら、今、自分が学校に行く意味って何なんだ??と思ってしまっても不思議ではありませんね。

テレビで見るニュースでも、学校を卒業している人が犯罪を犯していますし、いい会社に就職したのになぜか自殺して死んでしまっている。なぜ?どうして?と思いますよね。

大人の言葉と現実の差に気づいてしまった子供たち

子供の成長と共に、大人が言っていること・やっていることと現実に、差にあると気づいた子供。矛盾しているな、と気づいた子供。

矛盾に気づいても、「ま、いっか」で流せれば不登校にはならないでしょうし、いいことではないですが納得はいかないけど我慢してしまう子供も不登校にはならないでしょう。

あきらめたり、我慢したりするのは違うのではないか、と思う子供がストレスを感じ始め、ストレス過多になると命を守るための行動に出る、つまり不登校になるのではないか、と考えたわけです。

振り返り|不登校が悪いことだと子供時代は悪い生き方になってしまう不登校の子供たち

頭を抱えて泣いている子供

要するに、媚を売ったり、長い物に巻かれたりしない子供。その他大勢に流されることなく、大切なことに気づいているかもしれない可能性がある子供が不登校になってしまうのではないか、と思ったのです。

不登校になっている子供たちの本心をすべて聞けるわけではないので、本当のところはわかりませんが、少なからず、何も考えず気づかない子供が不登校になることは考えにくい。

逆に、いろんなことに気づき、自分なりの考えを持ち、大人の考えや現実と照らし合わせられるだけの能力があるから、何かしらの矛盾に気づき、納得がいかないということが起こるのではないか。

そして、子供である今現在、解決する術が子供本人には思いつかず、かといって大人を説得するだけのコミュニケーションスキルもなく、ストレス過多から自分を守るために学校に行かない選択をしているだけかな、と思いました。

ならば、そんな才能ある子供達を、責任逃れをしたい大人たちはつぶしてしまおうとしていないだろうか?

学校に行くか行かないかは別として、不登校になっている子供たちが本当に言いたい事は何なのかを、大人である私たちがきちんと向き合っていかないといけないと思うのです。

大人の価値観を上塗りするのではなく、子供を自分の思い通りに動かすのではなく、子供が社会でどう生きていけばいいのかを一緒に考えることが大切なのではないかと思うのです。

学校は人生の一部でありながら、子供時代の大半を占めています。

だからこそ、不登校が悪いこと、というイメージで考えられてしまうと、不登校の子供は、子供時代の大半を「悪い生き方」と否定されていることになってしまうのです。

大人は自分が否定されることを拒むくせに、子供の不登校は否定しようとする。直接表現では言わないけれど、勘のいい子供は察しますから、また矛盾が発生しますね。

もし、自分の命を守るために不登校になっているのであれば、不登校は悪いことではありません。矛盾に気づくことも悪いことではありませんし、物事の本質がわかってしまうことも悪いことではない。

ならば、不登校になること自体が悪いことではないと、私は思います。

学校に行くことが当たり前の社会で、学校に行かないというみんなとは違う行動をとることの意味を、大人が受け止めて向き合わず、誰が向き合うのか、というおはなしでした。

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