不登校の子供だけじゃない!生きるスキルにつながる勉強の根本とは?

不登校

不登校の子供だけに限らず、子供にとっての勉強って一体何なのでしょうか?テストでいい点数を取れるように、認知スキルを上げること?物事を応用して考えること?私たちが認識している勉強について、根本となるものは何なのかについて考えてみました。

「学習」という言葉の方が適しているのかもしれませんが「勉強」も同じような意味で使っているため、今回は「勉強」でお話しを進めていきたいと思います。

勉強の基本とは?こうすればこうなるという基本の考え方

ドミノ

まず、勉強の根本となる考え方は、

こうすれば→こうなる

ではないか、と考えてみます。例えば、

  • 水が入ったコップを倒したら→コップが倒れる・水がこぼれる
  • ドアを開けずに進んだら→ぶつかる・痛い

このようなものです。

あまりに根本すぎているかもしれませんが、この「こうすれば→こうなる」が勉強や学習の根本になっていると思います。

  • こうすれば→こうなる(A)
  • こうすれば→こうなる(B)
  • こうすれば→こうなる(C)

一般論とマイノリティ

「こうすれば→こうなる」の答えは1つの場合もあるし、感じ方など人によって違うものある。

人それぞれの「こうすれば→こうなる」の結果がたくさん集まり、似たような結果が「一般論」となり、一般論とは少し違う結果を持つ人が「マイノリティ」となっていると思います。

共有しておきたい知識をまとめたものが義務教育の教科書なのでは?

これらの結果から法則性や再現性などを見つけたものが科学で、その中から「共通認識にしていこう!」と決めたものを「知識」としてまとめたものが義務教育の「教科書」なのではないか、と考えてみました。

義務教育ではこれらの知識を発達段階ごとに分け、積み重ねて理解できるように工夫して作られているのが教科書や授業なのかな、と思ったのです。

環境の違い・脳のしくみの違いで変わる理解の差

義務教育は年齢で区切っていますが、子供の生活環境や脳のしくみによって理解や認知に差が出てきています。

  • 親の過干渉、虐待、ネグレクト、貧困の差など→子供の発達の影響
  • 脳のしくみ、特性や気質の差など→発達障害やHSC

一般論と共通認識にズレが出てきますが、人それぞれの「こうすれば→こうなる」というものがあることは変わりがないわけですね。

こうすれば→こうなるの結果が同じ人が多い物が一般論になり共通認識になるだけで、どの法則にも例外はあり、当てはまらない人もいる。

しかし、根本は「こうすれば→こうなる」ということがわかることが勉強なのではないかと考えています。

「こうすれば→こうなる」を習得する2つの土台

壁を登る女性と助ける男性たち

次に、勉強の根本となる「こうすれば→こうなる」はどのように習得できるのかを考えてみました。

生きるスキルを勉強するための4つのパターン

  1. 自分ベース・・・興味、関心、好奇心をベースに1人で勝手に覚えていくパターン
  2. 他人ベース・・・人から聞く、接することで学ぶパターン
  3. 環境ベース・・・過ごしていくうちに覚えるもの、季節や時間の流れ、環境などのパターン
  4. 経験ベース・・・時間の経過とともに知識になるもの、判断、感情、決断、発想、予測など

1~3がデータベースとなり、ミックス+融合されて4の経験のデータベースができるのかな、と考えてみました。

勉強するための3つの覚え方

【認知的な勉強法】

  1. 覚える
  2. 考える
  3. 実行する
  4. 記憶する

主に他人ベースで覚える場合、自分ベースの場合は本などから自主的に勉強する場合などが含まれます。

一般的に親が子供に求めている「勉強」と呼ばれているものは、認知的な勉強法のことを指しているのではないかと思います。

【感覚的な勉強法】

  1. 気づく
  2. 行動する
  3. 知る
  4. 記憶する

自分ベースで音やにおい、感触に気づく、目で見えたものに気づく、がスタートになり感覚的なものが何なのかを学習していく方法。

赤ちゃんの頃から基本的にこの学習スタイルが人間の基本かな、と思います。

感覚的なデータベースの数が増えたら、認知的な勉強法が可能になるのではないか、と考えています。

ですので、幼稚園や学校などで、先生(他人ベース)の話を聞くことや指示を聞くことは、感覚的なデータベースがある程度ないと難しいではないか、と考えています。

【融合された勉強法|習慣・欲など】

  1. 過去の記憶・経験の呼び出し
  2. 繰り返し
  3. 経験の加算・更新・実験&検証
  4. 記憶する

認知的と感覚的な勉強法が融合され、時間の経過とともに「経験」と変わっていったもの、経験ベースでの勉強法です。

基本的にすでに体験済みの過去の経験がベースになっている日常的な習慣なども、常に情報を更新しているので1つの勉強(学習)だと思います。

通勤通学や友達とのコミュニケーション情報、成長や発達に合わせての微調整などもこの辺りに入ると思います。

【仮説】融合されたデータが今の子供の性格や行動につながっているのではないか

子供が不登校であるかないかは一旦横に置いておいて、子供が勉強する・しないに関しては、勉強する根本の考え方と、勉強の方法そして覚え方、この辺りの全てが融合された状態が、今見えている子供の姿になっているのでしょう。

私は「感覚的な勉強法」が子供の勉強に関するすべてを握っていると思っていて、気づく能力から始まる興味関心や好奇心が子供の知りたい欲求、つまり勉強したい欲求を作っていると思っています。

勉強しない子供の姿から大人が見抜く必要がある子供の本心

勉強しないことに関しては、学校でも勉強の目的や学校に行く目的などを明確にできていない以上、子供だけを責めるのは違うと思いますが、「勉強しない」という1つの行動を取ってみても、割と複雑に絡み合っていると思ったのです。

要するに、子供の脳内や心に起きている問題は、親や先生の目に見えている姿だけでは判別できないと思うのです。

だから、宿題をしない、勉強をしない、という表面に見える問題点から、子供の本質をどう見抜くのか、そのスキルが大人には必要になると考えています。

感覚的な勉強法は年齢とともに大人や環境につぶされていく

今の子育ては、子供の行動を制限することが多いので、感覚的な勉強法を子供が貫き通すことは結構難しいことだと感じています。

都心になればなるほど、危ない場所も増えますし、人が多ければ迷惑になることを親は気にしますよね。

あれもダメ、これもダメ、見るもの、聞こえるもの、興味があること、関心があることを「知りたい!」と思っても、社会的な制約がかかってしまって「ダメ」と否定されてしまう。

一種の二次障害だと考えていますが、これは子供が興味関心を持つこと、そして行動すること=ダメなことと、子供が勘違いしてしまう気がします。

【憶測】自分の思いと実際の行動や言動に差があるとメンタルが病んでいくのかもしれない

親や大人の顔色をうかがい、先生に怒られないように宿題をやり、友達に仲間外れにされないように見て見ぬふりをする。

本当は興味関心があるのに、怒られるかもしれないから言えない、嫌われるかもしれないから言わない、と自分の思いと実際の行動に差が増えていくことで、メンタルに悪影響が出てくると思うのです。

こうして自発的に行動することを止められた子供は、自分で物を判断しなくなり、考えなくなり、本心とのギャップに悩み、最悪不登校になる、というパターンに陥っている気がしました。

【結論】「こうしたら→こうなる」の結果安全安心だからまたチャレンジ(勉強)できる

安心して横になっている女性

【仮説】自発的な勉強するには「安全」「安心」が必要なのでははないか

結局、

  1. 「こうしたら→こうなる」「こうしたら→どうなるんだろう」(勉強)と思い予測を立て
  2. 行動や実行できる機会をたくさん持つことを体験と言い
  3. 次にどうするかを考え、行動した結果を経験と言い
  4. 経験した命の安全が保障され安心できたから
  5. また次の勉強にチャレンジできるのではないか

というのが私の考えた結論です。

勉強(仮説):こうしたら→こうなる

体験:実行・行動できる機会を持つ

経験:体験からどうすればいいのかを考える

安全の確認(対策):実行・行動の結果、命の安全が確保された状態

安心:次の勉強にチャレンジできる

大切なことは、行動した結果、体験した結果、安全安心だったという結果になり、その結果が経験のデータベースにフィードバックされなければ、命の安全(メンタルへの悪影響)が保障されないので、次のチャレンジにはいかないというところです。

ということは、「宿題は?早くやりなさい!」「ピアノの練習またやってないの?」「ゲームばっかりやってないでちゃんと勉強しなさい!」という親あるあるの声掛けは、メンタルが脅かされるため、自主的な行動を促すことにはならない、という結論になりますね。

怒られたから仕方なしにその日は宿題をやってはみても、次の日になると「また怒られるかもしれない」そんな不安を子供は抱えているのでチャレンジできない、という負のスパイラルに入っていくのかもしれません。

親や先生の感情に振り回されず己の道を進みたい強い意志があれば勝手に勉強する

親に反対されても、命の危険が目の前にあっても、自分の意志が強ければその行動は実行されると思います。

例えば、

  • どうしても歌手になりたい
  • 大切な人を守りたい

自分の夢をかなえるため、そして子供や家族、恋人や生徒など、大切な命を守るために時に大胆な行動にでることもあるでしょう。

中には自分の命と引き換えに、守りたかった命を守った親や大人もいました。

自主的に行動した時に安心の結果で終わらせる|干渉しない

まだ自分の命の危険を判断できない幼少期以外は、子供が自主的に行動していることは基本的に干渉しない方が、安心で終われる可能性が高いということになりますね。

他人のことに立ち入って、口出しをしたり自分の考えを押しつけようとしたりすること

干渉/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勉強するためのパターン「自分ベース」になっている時は、自分ベースでどのような結果が出るのかを待ち、子供から「他人ベース」を望まれた時、つまり「教えて」と言われたらアシストをするという方法がおすすめです。

一気に大人が答えを出してしまうと、答えまでの過程を勉強できないので、また同じ体験でに出会ったとき、もう1度その過程を自分で探さなければいけなくなるからです。

できるだけ一緒に「できる」という方向へ考えていくと、答えの探し方やアシストしている人の物の見方、考え方も同時に勉強でき、経験として残せるのでいいのではないか?というのが今のところの私の結論です。

経験のデータベースが増えれば答えのみのアシストでもOK

年齢や発達が進み、知識や経験のデータベースが増える中学生や高校生になれば、聞かれた答えだけを回答しても大丈夫だと思います。

メンタルが安定している場合にのみ、有効だと思いますが、答えを回答することで子供が持っているデータベースの関連のある項目と照合し、自分で結果を導きだせると思うからです。

  • 小学1・2年まで・・・親と一緒に
  • 小学3・4年まで・・・先生と一緒に
  • 小学5・6年から・・・自分で

よく言われている子供を親がフォローするのは、小学2年生くらいまで(個人差はあると思います)、先生が子供をフォローするのは小学4年生くらまで、あとは自分で考えていけるよう大人がやることは「アシストのみ」になっていきます。

発達や心理の面からみると、自分で考えられる材料となるデータは、小学4年生くらいまでに揃うのかもしれませんね。

(大人と同じ量の神経がつながる年齢だと言われているらしいので:参考/ 学力テストで測れない非認知能力が子どもを伸ばす )

※こちらの本に神経のつながりの詳しい情報が書かれていて非常におもしろいです。参考にどうぞ。

【結論】自主的な行動を止めないことが自分で勉強していく土台を作る

子供の好奇心からくる自主的な行動は、危なくなければできるだけ止めないようにした方が、後に1人で勉強するようになるのではないか、と考えました。

そうはいっても保育園や幼稚園、学校などに入ると、朝の準備や登校、放課後の過ごし方や宿題、行事への参加など、自主的な行動ばかりで日常は過ごせないところが難しいところなんですけどね。

だからやはり、最終的には学校に行く目的や勉強する目的を子供が把握していけるように、自分の行動を自分で決められるようにしていった方が、親も子供もラクになるでしょう。

子供だけではなく大人も日々勉強している

もちろん、大人も同じように日々、経験を更新するという勉強をしているわけです。

子供の成長や発達、知識や経験のデータベースの量を考えながら接することで、子供だけではなく大人も勉強していくということですね。

振り返り|勉強とはデータの差!情報量と応用力の掛け算で生きるスキルは上がっていく

スキルや能力経験をまとめたもの

不登校の子供だけではなく、子供全体の勉強について、その方法やパターンを根本から考えてみました。

当然、データの差が多ければ多い程、発想や解決案が多くなりますので生きるスキルも上がっていきますよね。

情報を足したり混ぜたりしながら、私達は常に最善の選択をしているのでしょう。そして、安心して暮らせる環境があるからメンタルが落ち着き冷静な脳の状態で物事を考えられる。

逆に言えば、どれだけのデータ量を持っていても、メンタルが安定していないと常に命の危機を感じ、脳も警告を鳴らし続ける状態なのでデータの融合性を発揮できない気がしました。

不登校の子供に関して言えば、勉強よりもまずはメンタルの安定を優先的に考えるのは、データの力を発揮できないからです。

子供が安全だ、と落ち着くことができれば、過去のデータも、新規で入力するデータも、最大限の融合力を発揮できるでしょう。

だからメンタルを落ち着かせてから学校や勉強の目的を確認し、そこに向かって勉強していくという順番になると思うのです。

不登校になった→勉強はどうするの?では、あまりにも突発すぎて、子供も対応できないと思いますので、1つずつ、解決していく論理的思考のスキルを、親や大人たちも勉強していく必要があると思います。

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